2012年2月1日水曜日

時は満ち、神の国は近づいた (吉村博明)

説教者 吉村博明(フィンランドルーテル福音協会(SLEY)宣教師、神学博士)



主日礼拝説教 2012年1月22日 顕現節第三主日 
日本福音ルーテル横浜教会にて

エレミア書16:14-21、
コリントの信徒への第一の手紙7:29-31、
マルコによる福音書1:14-20

説教題 時は満ち、神の国は近づいた


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

 
1.「良い知らせ」から「福音」へ

 洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、神からの霊を注がれ、神の子であるとの認証を得たイエス様は、40日間荒野で悪魔から試練を受けながらもこれに打ち克ち、いよいよ本格的な活動に乗り出します。折しも、洗礼者ヨハネがガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに捕らわれたとの報が入りました。イエス様は、大胆にもユダの地からガリラヤに乗り込み、人々に教え始めました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。
 
「福音」という言葉は、原語のギリシャ語でエヴァンゲリオンευαγγελιονと言います。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、この語はもともとは「良い知らせ」という意味です。「良い知らせ」と言うと、私たちは、志望校に合格したとか、就職できたとか、恋愛が実って結婚できたとか、赤ちゃんが無事生まれたとか、そういう知らせを思い浮かべるでしょう。しかし、こうした良い知らせは「福音」とは普通言いません。「福音」とは、良い知らせの中でも特別なものを指すからです。何を指すのでしょうか?「福音」とはイエス・キリストについての「良い知らせ」です。イエス様が教えられたこと、行ったこと、また彼に起こったこと全て、彼が後世に遺したこと全てについての知らせなのであります。「ローマの信徒への手紙」の冒頭で、使徒パウロは自分のことを「神の福音のために選び出された」と言いますが、この「神の福音」こそ、神のみ子イエス・キリストについての「良い知らせ」であります。「知らせ」の中心人物も「知らせ」そのものも天地創造の神に由来するという「良い知らせ」なのであります。
 
そういうわけで、使徒たちが活躍する時代には、イエス・キリストについての「良い知らせ」は「福音」になっていました。やがて、イエス様の言行録を書物にまとめようとする動きが始まり、最終的に4つの書物が使徒の伝え教えたことに沿っているとみなされて正典として聖書の一部となりました。4つの書物は、「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」、「ヨハネによる福音書」と呼ばれていますが、このように「福音」は書物の題名をも意味するようになりました。ここで注意しなければならないのは、「福音」とはイエス様についての、彼が後世に遺したことについての「良い知らせ」ですので、新約聖書の中では4つの福音書以外にも「福音」は見出されます。使徒言行録も、使徒書簡も、黙示録も「福音」に満ちています。書物の題名につられて、「福音」は「福音書」の中だけと思わないように注意しましょう。
 
さて、イエス様がガリラヤの地で「悔い改めて、信じなさい」と人々に訴えられた時、その「信じる」ものは、私たちの日本語訳の聖書では「福音」となっていますが、イエス様は今活動開始したばかりで、十字架の死も死からの復活もまだ先の事です。これらのことが起こった後で、イエス様についての「良い知らせ」は「福音」になるのだから、この段階では「良い知らせ」と訳した方がいいのではないかと思います。(ちなみにフィンランドやスウェーデンのルター派国教会の聖書では、「良い知らせhyvä sanoma」、「知らせ/メッセージbudskapet」、英語NIVも「良い知らせ」good news。ドイツ語ルター訳(1545年)は意外にも「福音」das Evangeliumでした。)
 
それでは、イエス様が口にした「良い知らせ」とはどんな知らせだったのでしょうか?答えは、イザヤ書52章7節から53章12節にあります。まず、その箇所の初めの部分(52章7節)を見てみましょう。
 
「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足(רגלי מבשר)は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え(טוב מבשר ) 救いを告げ あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。」
 
伝えるべき「良い知らせ」の内容ですが、この節だけをみると、「平和」、「救い」、それに「神が王になる」ことであります。「平和」ヘブライ語のシャロームשלוםは、とても意味が広く、「救い」を意味することもあります。それなので、ここで言う「良い知らせ」は、「救い」ということと、神を王に戴く神の国の到来ということの二点に絞って考えてよいと思います。それでは、この「救い」が何を意味し、神を王に戴く国とどう関係するかは、イザヤ書の続きの部分を見ていくと明らかになります。
 
まず、52章8-12節で、神が廃墟と化したエルサレムに戻り、イスラエルの民に捕囚の地バビロニアから帰還せよと呼びかけます。神は、不可能と思われていたイスラエルの民の解放と帰還を可能にし、自分の力を諸国民に示します。つまり、良い知らせに言う「救い」とは、イスラエルの民が神の力でバビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰還し、神を王として戴く神の国が実現するということであります。
ところが、この次に来る52章13節から53章12節までの箇所は、有名な「主の僕」について述べつつ、「救い」の内容を少し違った形で展開していきます。それによると、主の僕は、目を背けたくなるほど惨めな姿をしているのだが、実は彼は私たちの痛みと病を背負ったのであり、私たちの罪と神への不従順がもたらす裁きをかわりに受けてくれた。それは、私たちが神との平和を得、彼の受けた傷によって癒されるためであった。53章11節で、神は自らこう述べられます。「私の義なる僕は、多くの者が義なる者になれるようにした。彼らの罪を自ら背負うことによって。」つまり、ここで「救い」とは、神を王として戴く神の国のなかでは、神の僕の身代わりの犠牲によって罪と不従順からくる裁きが赦される、ということを意味するのであります。
 
このイザヤ書52章7節から53章12節までの箇所で言われる「救い」は、イエス様誕生の500年以上前、バビロン捕囚がもうすぐ終わるという時代にあっては、イスラエルの民の捕囚からの解放とエルサレム帰還そのものを指すと考えられました。解放と帰還が実現すれば、それはただちに神が王として君臨する神の国の実現だったのです。その場合、身代わりの犠牲で人々を裁きから救う「主の僕」とは誰を指すかと考えられたかというと、それはバビロン捕囚で異国の地に連行されたユダヤ人の集団と考えられました。長い歴史の間にイスラエルの民が重ねた罪と不従順の罰としてバビロン捕囚が起きたのであり、捕囚の民が異国の地で辛酸を舐めるという罰を受けることで、イスラエルの全ての罪が赦され、また元に戻れるようになった、と考えられたのであります。
 
ところが、エルサレムに帰還した後も神の国は実現しませんでした。ということは「救い」も実現しませんでした。何が起きたかというと、確かにエルサレムの神殿と都市は再建された。しかし、バビロニア帝国支配が終わっても、イスラエルはペルシャ帝国、アレキサンダー帝国という大国支配の下に置かれ続け、ダビデ王の王国の復興などとは程遠いものでした。マカバイの反乱の時に独立を一時取り戻しますが、ほどなくしてローマ帝国の支配下に入ってしまいます。このように実態は、諸国民も恐れおののく神の国とは程遠い存在だったのです。さらに、イスラエル内部にも、神殿を拠点とするヤハヴェ神崇拝が果たして救いの実現なのかどうか疑問視する声も強く出てきました。このことは、マラキ書やイザヤ書の終わり56-65章に垣間見ることが出来ます。次第に、神の国とは実は今の世が滅び去って天と地が新たに創造される時に出現するものと明らかにする預言もでてきました。イザヤ書の終わりやダニエル書にそれらが窺えます。(旧約聖書続編にあるトビト書などは、再建された神殿には寿命があって、その後に永遠に続く真の神殿が再建されるとさえ言っています。)そのようなわけで、イザヤ書52章7節から53章12節までの預言を含め、バビロン捕囚後に実現すると考えられた多くの預言は、ことごとく未完だったことが明らかになりました。それでは、いつどうやってこれらの預言が実現することになるのか?まさにその時にイエス様が登場したのであります。イエス様が「信じなさい」と言われた「良い知らせ」とは、神がかつて約束した救いと神の国の到来についての知らせだったのです。それを「信じなさい」と言うのは、それらの実現が今始まった、神は約束を必ず守られる方なのだ、と告げることだったのです。神の御名は永遠にほめたたえられますように。
  
 
2.「時は満ち、神の国は近づいた」 - 預言成就の開始宣言 

 「時は満ちた」に言う「時」とは、ギリシャ語でカイロスκαιροςという言葉が使われています。これは、何か特別な事柄が起きる時、定められた時を意味し、単に時の流れを意味するクロノスχρονοςと区別されます。つまり、「時は満ちた」というのは、起きるべきことが起きる時がついに来た、機は熟した、ということであります。
 
「神の国は近づいた」をみてみましょう。マタイ3章2節によれば、洗礼者ヨハネも同じ言葉を使いました。ただし、イエス様とヨハネの言葉の間には決定的な違いがありました。イエス様が「神の国は近づいた」と言う時、彼は様々な奇跡を行い、難病や不治の病の癒し、悪霊退治、群衆の空腹を僅かな食糧で満たしたこと、自然の猛威を静めたこと等々を通して、神の国の実在性を示しました。ヨハネの場合、「神の国が近づいた」というのは、それがもうすぐイエス様と共に来る、ということですが、イエス様の場合は、自分と一緒にもう来ている、ということでした。
 
 続いてイエス様は「悔い改めて、良い知らせを信じなさい」と促します。「良い知らせ」とは、先ほど見た通り、救いと神の国の到来を実現するという神の約束を指します。つまり、救いの実現と神の国の到来についての神の約束を今こそ信じなさい、ということであります。この神の約束は、イエス様が全て実現されました。彼は、旧約聖書にある神の意志と預言の真理を人々に教え、間違って教える者を糾弾しました。奇跡の数々を行い、神の国の実在性を示しました。そして、十字架の死をもって、人間が負うべき罪と不従順の裁きと呪いを全部一身に引き受けて下さいました。さらに死から復活させられることで、永遠の命、復活の命への扉を開かれました。このようにイエス様において、神の約束が全て実現されたのであります。まさに、イエス様が「良い知らせ」を「福音」に大転換したのです。「時は満ち、神の国は近づいた」という言葉は、この大転換がいよいよ始まったという宣言だったのであります。
 
 ここで、ひとつ注意しなければならないことがあります。「良い知らせ」を信じる時、「悔い改める」という条件があるということです。イエス様は、「悔い改めて、良い知らせを信じなさい」と言われました。先週の主日の福音書の箇所は洗礼者ヨハネによるイエス様の受洗でした。私は説教で(横須賀教会)ヨハネの「悔い改めの洗礼」について教えました。人が自分の内部、心に岩盤のように横たわっている罪と神への不従順のあることを素直に認め、それからの救いを神からいただく「赦しの救い」として待ち望む、これが洗礼者ヨハネの言う「悔い改め」の意味だと申し上げた次第です。このような悔い改めがなければ、イエス様の十字架における身代わりの死の意味はみえてきません。信じるべき「良い知らせ」がどうして良いのかもわかりません。
  
 
3.「時は満ち、神の国は近づいた」 - 弟子たちの反応

 救いと神の国の到来についての神の約束が実現し始めたと宣されたイエス様は、弟子たちを召し出します。まず、ガリラヤ湖の4人の漁師たち、ペトロとアンドレ、続いてゼベダイの二人の息子ヤコブとヨハネが仕事を投げ出すようにしてイエス様につき従って行きます。こんなに簡単について行くのだから、きっと4人はイエス様に何かただならぬものがあると気づいたのでしょう。それにしてもこんなにあっさりと生業を放り出していくとは。ところがイエス様につき従った人が捨てたのは生業だけではありません。ヤコブとヨハネは、父親もそのまま残して立ち去ってしまいます。
 
 福音書には家族を捨てることについてのイエス様の教えがいくつかあります。イエス様のため、福音のため、神の国のために親兄弟を捨てたものは必ず報いを受けるとか(マタイ19章29節、マルコ10章29-30節、ルカ18章29-30節)、イエス様より両親を愛する者は弟子としてふさわしくないとか(マタイ10章37-38節、ルカ14章25-27節は「憎まないなら弟子でありえない」)。イエス様は十戒の第四の戒め「父母を敬え」に反することを教えているのでしょうか?
 
 この問題に対して、ルターがどう言っているのかを見てみましょう。「イエス様の教えは、両親を捨てたり見下したりする理由にはならない。神の戒めの通り、両親は敬わなければならない。しかし、両親または公権力ましてや教会自体が神への従順を禁じる事態が起きた時は、そのような両親、公権力、教会に対する従順は呪われたものになる。私たちに両親とかお金とか食べ物を与えて下さったのは神なのだから、与えられたこれらのものが私の救いと幸いを妨げようとするなら、神のためにはこれらのものは失われてしかるべきだ。ただし、そのような状況にない場合は、神を否定することなく両親や家庭や財産を持つことができるのだから、神からみても何の問題もない」とルターは教えます。
 
ところで、ゼベダイの二人の息子の場合は、父と息子が何か信仰上の対立があってそれが高じて父親放棄になったとか全くわかりません。二人の行動は何か神がかっているというか、あまりにも唐突すぎます。物語作家のようにいろいろ想像をめぐらして、息子たちの父親に対する思いをつくりあげて父親放棄の過程をドラマ化することもできましよう。しかし、ここではキリスト教会の説教者としての立場上、聖書に書かれてあることのみに基づいていこうと思います。書かれていないことに立ち入って、個人の憶測や想像を聖書に注入するようなことは慎まなければなりません。
 
さて、4つの福音書や使徒言行録を見渡してみえてくるのは、イエス様が弟子たちを招いた時というのは、今まさに神の人間救済計画がイエス様を通して実現されだした、実現まで時間的余裕がないという緊迫した状況だったということです。弟子たちは、言わば、有無を言わせないくらい切迫したムードの中で急きょ動員されたのです。
 
 有無を言わせないような切迫したムードだったというのは、イエス様の人生の中でエピソードに満ちた大人の期間は意外と短かったということに気づけばわかります。それに気づけるために、イエス様の大人時代を次の4つの段階に区分けしてみましょう。まず、ヨルダン川での洗礼者ヨハネからの受洗と荒野での悪魔から受けた試練を第一段階とします。次に、洗礼者ヨハネの投獄後にイエス様はガリラヤに戻って人々に教え始め、奇跡の業を次々となす。このガリラヤとその近辺での活動の時期を第二段階としましょう。そして、ガリラヤを出発して群衆の先頭にたってエルサレムに向かう。この時にも人々を教え、奇跡の業をなす。これを第三段階としましょう。最後に、エルサレム入城とユダヤ教社会の宗教指導層との激しい応酬、投獄、拷問、裁判、十字架そして復活。これを第四段階としましょう。
 
 このようにイエス様の大人時代は4つの段階にわけることができるのですが、イエス様の受洗から十字架・復活までの期間は、本当はとても短い時間です。短く見積もる研究者は、だいたい1年ぐらいだろうとみています。ヨハネ福音書には、イエス様がガリラヤとエルサレムを何度か行ったり来たりしていることが述べられており、これに基づけば、大体3年くらいとみなされています。イエス様の地上での全生涯は大体30年位というのが定説ですので、4つの福音書の記述の大部分を占める大人時代の出来事は、実に生涯の最後の期間、1年から長くても3年位の期間に集中しているということができます。
  
 イエス様がこの地上での生涯の最後の時期に行ったことは、神の人間救済計画を実現することでした。先ほども申しましたように、イエス様が「神の国は近づいた」と言う時、それは彼自身と一体となって既に来ている、という意味でした。神の国がイエス様と一体となって来たというのは、彼の行った数々の奇跡にあらわされています。マルコ福音書3章で、イエス様が悪霊を退治した時、反対者たちから「あいつは悪霊の仲間だからそんなことができるのさ」と中傷を受けます。それに対してイエス様は、「悪霊が悪霊を退治したら彼らの国は内紛でとっくに自滅しているではないか」と反論し、自分が神の国と一体になっているからこそ悪魔が逃げていくのだと証します。このように、イエス様の数々の奇跡の業は、神の国が彼と共に到来したことの印、神の国の実在性を示す印なのであります。
 
ところが、神の国がイエス様と共に到来したといっても、人間はまだ神の国と何の関係もありません。最初の人間アダムとエヴァ以来の神への不従順と罪を受け継いできた人間は、まだ神の国に入ることはできません。人間は神聖なものとあまりにも対極なところにいる存在だからです。罪と不従順の汚れが消えなければ神聖な神の国に入ることはできません。いくら、難病や不治の病を治してもらっても、悪霊を追い出してもらっても、空腹を満たしてもらっても、自然の猛威から助けられても、人間はまだ神の国の外側にとどまっています。それを最終的に解決したのが、イエス様の十字架の死と死からの復活でした。本来私たち人間が受けるべき不従順と罪の裁きを、主が全部引き受けて十字架で死なれ、ご自分の血を代償として、私たちを罪と不従順の奴隷状態から買い戻して下さった。さらに死から復活されたことで、死を超えた永遠の命、復活の命に至る扉も開いて下さった。これらのことが、まさにこの私のために行われたのだとわかって、イエス様を救い主と信じて洗礼を受ける時、私たちは、神がイエス様を用いて完成された救いを所有する者となります。そうして、私たちは神から義なるものと見なされる存在となり、神聖な神の国の立派な一員として迎えられることとなったわけであります。
 
さて、このようにしてイエス様は、私たちが神の国に入れるようにと、十字架と復活の業を成し遂げられました。神の御心に忠実に従って人間救済の計画を実現されました。この地上での生涯の最後の1-3年ほどの短い期間にこんなにも大きなことを成し遂げられたのです。「悔い改めよ。神の国が近づいた」という言葉で始めて、最終的に人間がその神の国に入られるようにする道を整えられたのです。この大事業の完遂にあたって、イエス様は弟子たちを集められました。彼らの使命はイエス様と共にいてその教えと業をつぶさに見聞きすること、さらにイエス様から受けた教えと授かった力をもって宣教することでした(マルコ3章13-15節)。弟子たちがイエス様と行動を共にしたことが、後に彼らの証言を生み出すことになり、そして彼らの命を賭けた証言を聞いて主を知らなかった人が信じるようになる、そういうことが連鎖反応的に起こって、その集大成として聖書の新約の部分ができあがったのであります。弟子たちの証言や聖書がなければ、誰も信仰をもてるはずがなく、従って主が門を開いた神の国にも入れません。こういうわけで、イエス様は神の人間救済計画そのものを実現しましたが、弟子たちは実現された救済が国と時代を超えて多くの人たちに及ぶようにする上で重要な役割を担ったのであります。
 
 イエス様が弟子を呼び出したというのは、そのような重要な役割を負わせるためだったことが明らかになりました。弟子への呼び出しは、まさに人類の歴史の大転換点である十字架と復活の出来事を目前にした時に行われたのでした。これが、弟子への呼び出しに有無を言わせない切迫したムードがあると言った意味です。徴税人マタイなど座っているところをイエス様に声かけられて有無も言わずに立ち上がって従って行きました(マタイ9章9節、マルコ2章14節、ルカ6章27-28節では徴税人レビ)。何か途方もない力が働いて、人間が次々に吸い取られていくような雰囲気があります。福音書は、このように自動反応のごとくイエス様の後に従い始めた弟子たちの親子関係とか彼らの内面的葛藤とか一切触れていません。きっと実際に自動反応のようなことが起きたのでしょう。それで、その雰囲気をそのまま伝えたいために、余計な説明を付け足すことがなされなかったのでしょう。イエス様自身、このような自動反応を期待していたことが、信心深い百人隊長の信仰がそのようなものであることを知って感心したことに伺えます(ルカ7章1-10節、マタイ8章5-13節)。しかし、呼び出されて自動反応が起きない場合は、イエス様はとても手厳しい。ある人が死んだ父親を葬りに行ってもいいかと聞くと、「死んだも同然の者たちに死者を葬らせればよい」と答えます(ルカ9章59-60節、マタイ8章21-22節)。最初の人間アダムによる堕罪以来、神が決めていた人間救済計画がまさに実現しようという時、人間が神の国に入れるようになるという時を直前に控え、救済実現の目撃者、証言者となってその福音を宣べ伝える者に召し出されたら、その通りにするしかないというのがイエス様と神の御意志であったと言うことができます。

 
4.「時は満ち、神の国は近づいた」 - 私たちはどうすべきか

それでは、私たちも同じようにしなければならないのでしょうか?もし神様の召し出しを受けたら、私たちも自動反応してゲームのコマのように駆り出されなければならないのでしょうか?それが私たちにとってのイエス様の後をつき従うことなのでしょうか?
 
ここで注意しなければならないのは、私たちに関して言えば、神の人間救済計画は既に実現しているということです。救済実現の直接の目撃者、証言者となってその福音を宣べ伝え聖書を作り出すという役割は既に使徒たちが果たしてくれました。私たちは洗礼を通してイエス様の弟子になりますが、それは実現された救済を受け取るという立場であり、受け取ったものを聖書に基づいてしっかり守りつつ、できるだけ多くの人がこの救済に与れるような働きをするという役割があります。それで、救済が実現する時に大きな役割をもたされた弟子たちと立場が少々異なっています。その意味で、弟子たちが受けたのと同じような自動反応をもたらすような召し出しは、もうないのではないかと思います。そうは言っても、両親とか家族とか財産とかを、信仰を理由に捨て去る必要はなくなったかというと、そうではありません。先にルターの教えを引用しましたように、それらが信仰を捨て去るように作用して絶対に止めないという時は、捨てなければならないということであります。そうでない限りは、両親や家族を世話し仕えることは神の掟であります。
  
 
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン


2012年1月26日木曜日

なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのか? (吉村博明)

 
説教者 吉村博明(フィンランドルーテル福音協会(SLEY)宣教師、神学博士)
 

  
主日礼拝説教 2012年1月15日(主の洗礼日)
日本福音ルーテル横須賀教会にて

イザヤ書40:1-7、
使徒言行録10:34-38、
マタイによる福音書1:9-11

説教題 なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのか?
  
 

  
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.                            はじめに

  イエス様が洗礼者ヨハネのもとに来て洗礼志願をするとは、一体どういうことか。洗礼と言えば、ルターが小教理問答書の中で端的に述べているように、「罪の赦しをもたらし、私たちを死と悪魔から救い出すもの、そして神の言葉と約束を信じる者全てに永遠の幸いを与えるもの」であります。聖霊によって宿り、罪の汚れも不従順もない神の御子にどうして洗礼が必要なのか。本日の福音書の箇所の直前でヨハネは洗礼を受けに集まった群衆に、「私の後に強大な方が来られる。私は、屈んでその方の履物の紐を解く値打もない。その方は聖霊をもってあなたたちに洗礼を授ける。」と言います。まさにその方が洗礼を授けてほしいと言ってきた時のヨハネの驚きはいかようだったでしょうか。マタイ福音書では、その経緯が少し詳細に記述されていて、ヨハネはイエス様に「私の方が、あなたから洗礼を授けられる必要があるのに」と述べます(3章14節)。
 
 なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのでしょうか?ひとつ言われることは、イエス様は神の子という地位に固執せず、あえて人となって地に下ってきたが、それだけでなく大勢の人たちに混じって洗礼を受けることで、人間との連帯を一層示した、という考え方があります。連帯説はそれ自体は間違ってはいませんが、それだけでは言い尽くせないことがイエス様の洗礼にはまだ一杯あります。「ヘブライ人への手紙」4章15節に、人となったイエス様が人間の弱さを理解できるのは「全てのことにおいて人間と同じように試練に遭われたからだ」と言われていますが、そこには「罪に陥ることを除いては」とちゃんと但し書きがあります。罪と不従順を持たないということからみれば、イエス様は、元来洗礼を受ける必要はなかったのであります。しかし、聖書をもっとよく見ていくと、やはりイエス様はあの時、ヨハネから洗礼を受けなければならなかったことが明らかになります。そうなると、イエス様の洗礼は罪や不従順の赦しを受けるのとは異なる意味を持ちます。連帯説では、イエス様の洗礼の意味は、必要ないのにわざわざ受けたということで、人との連帯を示すための見かけのものになります。しかし、イエス様の受けた洗礼は見かけなどではなかった。起きなければならないことだったのです。以下にそのことを見ていきましょう。
  
 
2.                            洗礼者ヨハネの洗礼について

 まず、洗礼者ヨハネの洗礼とはどんなものであったかについて見てみましょう。イエス様の時代のユダヤ教社会では、霊的な汚れから清めるために水が用いられたということがありました。例えば、食事の前の手洗いにもそのような霊的な清めの意味があると考えられ、それがもとでマルコ福音書7章にあるイエス様とファリサイ派・律法学者との間の有名な論争が生まれました。そこでは、イエス様の弟子たちが手を洗わないで食事をしたことが非難されます。それに対してイエス様は、ファリサイ派・律法学者たちが人間の作った掟に縛られて神の命じられることをないがしろにしていることを暴露し、「人を汚すものは人の外部から来るものではなく、人の内部から出てくるものが人を汚すのだ」と教えます(7章15節)。加えて、人の内部から出てくるものとは、人の心から出てくるものであると言い、どんなものが出てくるかというと、まず邪悪な考えがあり、それに伴って「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、妬み、悪口、傲慢、無分別」が出てくると、列挙します(7章18-23節)。
 
 こういう罪や神への不従順の考え・行為というものが人間の外側に張り付いた汚れではなく、人間の内部、心から出てきて、自分も他人も汚すという教えは、きっと地動説が天動説に覆されるような衝撃があったでしょう。というのは、罪や不従順が外側に張り付いている汚れのようなものであれば、洗い清める儀式をすれば除去されます。ところが、内側から次から次へと湧き出てくるものであれば、清めの儀式なんかをもってしても消し去ることはできません。外側に張り付いているものであれば、付着したらまた取って、また取って、の繰り返しをすればいいのですが、罪や不従順が内部に心に根差していて、人間の存在を根底から規定しているのであれば、いくら清めの儀式を繰り返したところで、自分と他人を汚すことはなくなりません。マルコ1章4節に、洗礼者ヨハネは「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」とありますが、ヨハネの「悔い改めの洗礼」の主眼とするところは、まさにこうした人間の存在を内側から根底から規定している罪・不従順を自覚し、そこからの悔い改めだったのであります。
 
この人間の存在を根底から規定している罪・不従順ということについて、あるキリスト教小説の中で言われていることを参考にして見てみたいと思います。1950年代のスウェーデンの小説で、ステーングルンデンStengrundenという題名です。「岩の基盤」、「岩盤」という意味です。作者は、スウェーデンのルター派国教会が世俗化への道を歩み始めた時代に、聖書とルターに立脚することを唱え続けたイェールツB. Giertsという同国国教会の監督です。この小説はフィンランド語にも訳され(Kalliopohja)、スウェーデンとフィンランドのルター派のリバイバル運動にあってそれこそ聖典のように読み継がれてきました。
 
1930年代のスウェーデン中部にある村の教会の集会で、主任牧師ベングツソンが、人間にとって罪と不従順がいかに根底的なものであるかを会衆に教える場面があります。ちょうど、スウェーデン社会において人間の自己中心的な自由や選択ということが強調される風潮が強まり、それが教会や教会員の信仰にも影響を及ぼしていたという時代背景があります。そこで主任牧師は、改心を遂げた人の喜びが往々にしてどのような結末を迎えるかということを、次のようなたとえで話します。
 
改心した人は、神に認められた、受け入れられたと喜び、これからは真人間に生きようと決心する。それまでの悪習、例えば飲酒、喫煙等を絶ち、また人に優しく振る舞おう、自分勝手な思いや行いはやめようと努力する。自分が新しく生まれ変わったことを実感できるために、とにかく悪いことを避け、善いことをしようと努力する。それはあたかも荒れ地に果樹園をつくろうとして、土にシャベルを入れて栽培の障害になる石を除去しようと、掘り出しては外の溝に石を捨てていく農夫の作業のようであった。ところが、掘っても、掘ってもまだ出てくる。一つ悪いことを取り除いても、別のところから別のものがでてくるし、時間がたてば前に取り除いたはずのものと同じものがまた出てくる。溝にはもう石の山が出来上がってしまった。掘る深さも深くなってしまった。そうしているうちに、シャベルはとても大きな石にあたった。掘り出そうとして、石の周りを掘り起こしてみようとするが、どこまでも続いている。ついにそれが果樹園予定地の下部全体を覆っている岩盤であることがわかる。これが、人間を根底的に規定している罪・不従順であるというのであります。
 
この根底的な罪・不従順の存在を目の当たりにした人間は、どうなるか。ひとつには、失望して、真人間になる努力は全く意味がないと見切りをつけ、改心前の生活にまた戻ってしまうことになる。もうひとつは、その岩盤にすぐ土をかぶせて、その上にきれいな花をたくさん植えて、その美しさを人々にほめてもらう。これはファリサイ派と同じ手法であると言います。主任牧師ベングツソンは、この二つに陥らない真の信仰への道を示していきます。その場合、人は自分の内部、心に、このような罪・不従順の岩盤があることを観念して認めることを出発点にしなければならないと説くのであります。
 
ここで、話を本日の福音書の箇所に戻します。洗礼者ヨハネの洗礼は、まさにこの出発点であります。先ほどマルコ1章4節を引用しましたが、ヨハネが宣べ伝えた洗礼とは、ギリシャ語の原文に忠実に訳すと「罪の赦しに至らせる悔い改めの洗礼」となりました。つまり、ヨハネの洗礼は「悔い改め」の印としての洗礼で、「罪の赦し」はその先にある最終目標です。従って、ヨハネの洗礼では「罪の赦し」はまだ実現されません。人間が自分自身の内部に自分の存在を規定するような罪・不従順がある、イェールツの小説に言うような冷たい大きな岩盤がある、それが自分の真実だと認めますという印の洗礼であります。そのままでは神の裁きを受けて永遠の死滅に投げ出されるだけの呪われた存在ですと認め、そこから救われるために神からいただく「赦しの救い」に全てを託し、それを待ち望みます、と表明する洗礼であります。マルコ1章5節に、ヨハネが洗礼を授ける際、「人々は罪を告白した」と書いてありますが、まさに罪・不従順を告白し、「赦しの救い」を待ち望む者になったことを証明する洗礼でした。文字通り「悔い改めの洗礼」でした。これで罪と不従順は洗い流されました、というような清めの儀式などではありません。
   
 洗礼者ヨハネは、洗礼を授けた後、群衆に向かって「自分の後に来る強大な方は聖霊を持って洗礼を授ける」と述べます。このイエス様が授ける洗礼、「イエス様の洗礼」こそが、最終目標である「罪の赦し」を実現する洗礼であります。このことからも、ヨハネの洗礼が「悔い改め」の洗礼にとどまることがわかります。「イエス様の洗礼」とは、彼が「父と子と聖霊との名前において」授けよと命じられた洗礼であります。私たちは、牧師を通してこの洗礼を授けられますが、洗礼を与える主体はあくまでもそれを命じられたイエス様です。牧師はそのための媒体か手段であります。従って、「牧師先生が私に洗礼を授けた」と言うのは本当は正確でなく、「私は牧師先生を通してイエス様から洗礼を授けられた」と言うのが正確です。
  
 
3.                            イエス様が洗礼者ヨハネから受けた洗礼の意味

以上から、洗礼者ヨハネの「悔い改めの洗礼」とは、人々をして、自分の内部に罪・不従順が根底的に規定していることを認めさせ、そこからの救いを神に求めて待つ印であることが明らかになりました。そして、その後に到来する「イエス様の洗礼」が、人に罪の赦しを与えて救いを実現するものであることも明らかになりました。それでは、イエス様がヨハネから洗礼を受けたというのは、彼も内部の罪・不従順を認め、救いを待ち望む者であることを示すことになったのでしょうか?いいえ、そういうことではありません。イエス様がヨハネから受けた洗礼には特別な意味がありました。それをわかるために、次の二つのことに気づく必要があります。
   
まず、イエス様がヨハネから洗礼を受けた時、他の人たちの場合には起こり得なかったことが起きました。聖霊がイエス様に下ったことと、天から「お前はわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の声が響いたということです。ヨハネの洗礼があって、イエス様は聖霊に満たされた存在になり、天と地と人間を造られた全知全能の神の子であるという確認を得られることになったのです。逆に言えば、ヨハネの洗礼がなければ、イエス様は聖霊に満たされることもなく、神の子の確認も得られず、そのままマリアとヨセフの息子としてナザレで静かに暮らしていたでしょう。
  
こうして見ると、イエス様がヨハネから洗礼を受けたことは、彼が救い主としての働きを始めた出発点になったということができます。これが、イエス様の洗礼の特別な意味の二点目です。実際、4つの福音書をみるとヨハネによる洗礼がイエス様の働きの出発点をなしていることがよくわかります。もちろん、マタイとルカ福音書には、イエス様が神の子として誕生したことが記されています。それでも、神の子として救い主として自覚的に活動を始めるのは、ヨルダン川での洗礼からです(cf. ルカ2章41-52節)。マルコとヨハネ福音書では、ほぼイエス様の洗礼が書物自体の出発点になっています。この点に関して、使徒言行録1章に興味深い箇所があります。主を裏切ったユダにかわって使徒を選出しようということになりました。その時、選出の資格として、「主が洗礼者ヨハネの洗礼を受けた時から始まって、十字架と復活を経て、天に上げられるまで、いつも主や使徒たちと行動を共にした者」ということが定められました(21-22節)。つまり、使徒たちの間でも、イエス様の救い主としての活動はヨハネの洗礼の時に始まると考えられていたのであります。
  
洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエス様は劇的な人生を一気に駆け抜けます。聖霊を受け、神の子であるとの確認を得られるや否や、いきなり荒野に連れて行かれ40日間悪魔から試練を受ける。それに打ち勝った後、本格的な宣教に乗り出す。旧約に記された神の意志とか、そこに預言された神の計画の真理について人々に解き明し、それらを誤って教える者たちを糾弾する。難病や不治の病の癒し、自然の猛威を静めるような奇跡の数々を起こし、神の国の実在性を示す。そして最後は、人間が堕罪によって失った神との関係を回復すべく、人間を罪から贖う十字架の死を敢行し、死から復活させられることで今度は永遠の命の扉を開かれる。こうして神の人間救済計画を全て実現するのであります。
 
さて、洗礼者ヨハネの洗礼は、イエス様に関しては、聖霊で満たされ神の子の確認を得て、神の人間救済計画の実現プロセスを開始する意味があるとわかりました。ここで疑問としてでてくることは、救済計画実現のプロセス開始が、どうしてヨルダン川の洗礼でなければならなかったかということです。どうして、他の場所で、例えばエルサレムの神殿ではいけなかったのかということです。このような問いに対しては、神がヨルダン川の洗礼の場にすると決めたのだから、それ以外にはあり得なかった、としか答えようがありません。
   
以上から、イエス様はなぜ洗礼を受ける必要があったのかという問いに対しては次のように答えることができます。まず、神が洗礼をもってイエス様に聖霊を注ぎ神の子としての資格を与えるためであったということ。それから、そうすることで、イエス様が神の子、救い主としての明確な自覚にたって神の人間救済計画の実現に向かうようにするためであったということです。
  
ところで、ルターは、イエス様が洗礼を通して聖霊を注がれ神の子の確認を得たことは、私たちにとって大きな意味があると教えます。神の子の確認を得たことで、イエス様が私たちのためにすること成すことの全ては神の御心に適うものとなった。それゆえ、私たちが洗礼を通してイエス様に結びつけられれば、私たち自身も神の御心に適う者になるのであります。こうして、イエス様が洗礼を受けて聖霊で満たされ神の子の確認を得たことで、私たちは自分が受けた洗礼(「イエス様の洗礼」)の重要さが一層理解できるのであり、また洗礼を受けた私たちはいかに新しく創造されたかということも一層わかるのであります。このように、ルターによれば、イエス様が洗礼を受けたことは、私たちの受けた洗礼の深い意味を理解させる役割を持っているというのであります。このことも、なぜ神はイエス様が洗礼を受けるように導いたかの答えになるでしょう。
  
 
4.                            「イエス様の洗礼」を受けた者として

 それでは、「罪の赦し」に至らせる「イエス様の洗礼」を受けた私たちキリスト教徒は、あの罪と不従順の岩盤をどうしたでしょうか?洗礼を受けたことで、岩盤は一気に消滅したでしょうか?スウェーデンはダイナマイトの発明国ですので、それをもって木端微塵に粉砕したでしょうか?驚くべき展開が待っていました。このことを先ほどの小説に出てくる主任牧師ベングツソンの説教の続から見て、本説教の結びにしたく思います。
 
 罪と不従順の岩盤のほかに、もうひとつ岩の丘があった。それはゴルガタと呼ばれる丘で、そこに十字架が立てられ、罪と不従順を持たない一人の者が磔にされた。なぜ神はこのようなことをなさったのか。神は長い間、人間の罪と不従順を見逃してきたのだが、ご自分が義の存在である以上はやはり、罪と不従順には呪いと裁きが伴うことを、また神聖という尺度で測るときは手加減は一切しないということを人間に示さなければならない。しかし神は驚くべきことに、呪いと裁きを全て、汚れの無いひとり子に被らせた。彼は私たちのために呪われた者にされ、それによって私たちは呪いから解放された。彼は私たちの目の前で罪びとに仕立てられ、それによって私たちは神が与えられる義を身に纏うことができるようになった。彼は私たちの罪を十字架の上まで背負って運び上げた。彼が受けた傷のおかげで私たちは癒された。それゆえ、ゴルガタの丘は世界で一番神聖な場所になった。神への従順な道はすべてそこに通じる。裁きが人の心を重く捕える時、イエス様を救い主と信じる者は誰でも、この従順の道を辿って、罪の帳消しの丘に登ってよいのだ。
  
そういうわけで、私たちの心の中にある罪と不従順の岩盤は、私たちを裁きに追い込む力を失ったのだ。十字架から垂れ落ちる主の血を受けて、ゴルガタの岩の丘が罪の帳消しの丘に変わったように、罪と不従順の岩盤にも主の血を振り掛けるが良い。その時神は、岩盤の上に十字の印を刻み付け、イエスと結びついた人を義なる者とするであろう。罪と不従順の岩盤は移動させられて、罪の帳消しの丘の上に置かれる。今度はこの丘が人間を内部から根底的に規定するものとなるのだ。もちろん、あの岩盤は残るので、人間は依然として罪びととして存在し続ける。しかし、負債は支払われ、呪いは打ち消されたので、人間は何の恐れもなく神聖な神の御前に進み出ることができるようになった。この罪の帳消しの奇跡を感謝できる者は、救い主の栄誉のために生きようとし始める。ここから信仰の善い実が実り始める。こうして罪と不従順の岩盤にぶち当たった人は、神の救いの業に全てを委ね、その業に自分を根底から規定させることで、豊かな実をもたらす木となるのである。
  
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年1月17日火曜日

歴史的事実と信仰ということについて (吉村博明)

 
説教者 吉村博明(フィンランドルーテル福音協会(SLEY)宣教師、神学博士)


主日礼拝説教 2012年1月8日(顕現主日)日本福音ルーテル日吉教会にて

イザヤ書60:1-6、
エフェソの信徒への手紙3:1-12、
マタイによる福音書2:1-12

説教題 歴史的事実と信仰ということについて



私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.                            はじめに

 本日の福音書の箇所は、何かおとぎ話めいて本当にこんなことが現実にあったのか疑わせるような話です。はるばる外国から学者のグループがやってきて誕生したばかりの異国の王子様をおがみに来るとか、王子様の星をみたことが学者たちの異国訪問の理由であるとか、その星が学者たちを先導して王子様のいる所まで道案内するとか。こんなことは現実に起こるわけがない、これは大昔のおとぎ話だと決めつける人もでてくると思います。
 
 本日の箇所に限らず、聖書には、奇跡や超自然的な現象が数多く登場します。イエス様についてみても、おとめからの誕生、難病や不治の病を次々に完治したこと、自然の猛威を静めたこと、その他もろもろの奇跡の業、そして死からの復活等々、枚挙にいとまがありません。聖書を読む人たちのなかには、そのような記述は古代人が読者におそれを抱かせるために創作したものだと決めてかかる人もいます。そういう人たちにとって、聖書は信仰の書、永遠不滅な神の言葉などでなく、古代オリエント世界の人々の考え方や文化を知るための一つの文化遺産にしかすぎません。他方では、奇跡や超自然的な現象を真に受けることはしないが、イエス・キリストは「信奉」してもいいという人たちもいます。イエスは当時のユダヤ教社会でとても革新的なことを教え、その教えの多くは現代にも通じるものがある、そしてその通じるものに注目し(逆に言えば通じないものは排除して)現代社会の諸問題の解決に役立てていこうと。つまり、イエス・キリストを何か一つの主義とか思想を打ち立てた思想家ないしイデオローグと見なすということです。また、彼がもとでキリスト教が生まれたのだから、仏陀やモハメッドのように一つの宗教の教祖とみなす人たちもいます。教祖であれば、仏陀やモハメッドが人間だったのと同じように、イエスも彼ら同様一人の卓越した人間だったとみられていきます。こうなると、イエスを三位一体の神の一をなす神の子であると信じる信仰となじまなくなります。それで、イエスが「信仰」の対象というより、「信奉」の対象になるのであります。
 
 さて、本説教では第一の教えとして、本日の福音書の箇所はおとぎ話と決めつけるには歴史的信ぴょう性が高い記述であるということを述べていきたいと思います。歴史を100パーセント復元してみせることは不可能です。しかし、本日の箇所は100パーセントとはいかなくとも、少なくとも80パーセント位は歴史的事実と言っていいのではないか、それくらい信ぴょう性が高いということを見ていきたく思います。それでは、聖書に書いてある出来事が仮に80パーセントくらいは真実とみなせるなら、それなら信じてもいい、ということになるのか。それとも、いや、やはり100パーセント確実でないと信じられない、ということになるのか。そういう疑問に対して、聖書に書いてある出来事が100パーセント真実であると確かめることは信仰の出発点にはならない、ということを本説教第二の教えとして述べていこうと思います。信仰の出発点は100パーセントの信ぴょう性を確立することとは別のところにある、と。それではその出発点は何か、そうしたこと考えていこうと思います。

2.                            マタイ2章1-12節の歴史的信ぴょう性について

最初に、本日の福音書の箇所に出てくる不思議な星の歴史的信ぴょう性についてみてみましょう。これからお話しすることは、皆さんも既に聞かれたことがあるかもしれません。イエス様が誕生した頃の天体の動きについては、似たような説がいろいろあるようです。以下に申し上げることは、私がフィンランドで読んだり聞いたりしたことに基づいたバージョンであるということをお含みおき下さい。
 
近代の天文学者として有名なケプラーは1600年代に太陽系の惑星の動きをことごとく解明しますが、彼は紀元前7年に地球から見て木星と土星が魚座のなかで異常接近したことを突き止めました。他方で、現在のイラクを流れるチグリス・ユーフラテス川沿いのシッパリという古代の天文学の中心地から当時の天体図やカレンダーが発掘され、その中に紀元前7年の星の動きを予想したカレンダーもありました。それによると、その年は木星と土星が重なるような異常接近する日が何回もあると記されていました。二つの惑星が異常接近するということは、普通よりも輝きを増す星が夜空に一つ増えて見えるということであります。さて、イエス様の正確な誕生年について諸説がありますが、本日の福音書の箇所に続くマタイ2章13-23節によれば、イエス親子はヘロデ王が死んだ後に避難先のエジプトからイスラエルの地に戻ったとあります。ヘロデ王が死んだ年は紀元前4年と歴史学上確定でき(このヘロデ大王は福音書の後のほうで出てくるヘロデ・アンティパスとは異なります)、イエス親子が一定期間エジプトにいたことを考慮に入れると、木星・土星の重なる接近のあった紀元前7年はイエス誕生年として有望になります。そこで決め手となるのは、ローマ皇帝アウグストゥスによる租税のための住民登録がいつ行われたかということです。残念ながら、これは正確な記録がない。ただし、シリア州総督のキリニウスが紀元6年に住民登録を実施した記録が残っており、ローマ帝国は大体14年おきに住民登録を行っていたので、紀元6年から逆算すると紀元前7年位がマリアとヨセフがベツレヘムに旅した住民登録の年として浮上してきます。このように、天体の自然現象と歴史上の出来事の双方から本日の福音書の記述の信ぴょう性が高まってきます。
 
 次に、東方から来た正体不明の学者グループについて見てみましょう。彼らがどこの国から来たかは記されていませんが、前に述べたように、現在のイラクのチグリス・ユーフラテス川の地域は古代に天文学が非常に発達したところで、星の動きが緻密に観測されて、それが定期的にどんな動きをするかもかなり解明されておりました。ところで、古代の天文学は現代のそれと違って、占星術も一緒でした。つまり、星の動きは国や社会の運命をあらわしていると信じられ、それを正確に知ることは重要でした。従って、もし星が通常と異なる動きを示したら、それは国や社会の大変動の前触れであると考えられたのです。それでは、木星と土星が魚座のなかで重なるような接近をしたら、どんな大変動の前触れと考えられたでしょうか。木星は世界に君臨する王を意味すると考えられていました。土星についてですが、東方の学者たちがユダヤ民族のことを知っていれば、土曜日はユダヤ民族が安息日として神を称えた日と連想できるので、この星はユダヤ民族に関係すると理解されたでしょう。魚座は世界の終末に関係すると考えられていました。以上から、木星と土星の魚座のなかでの異常接近を目にして、ユダヤ民族から世界に君臨する王が世界の終末に結びつくように誕生した、という解釈が生まれてもおかしくないわけです。
 
 それでは、東方の学者たちはユダヤ民族のことをどれだけ知っていたかということについてみてみましょう。イエス様の時代の約600年前のバビロン捕囚の時、相当数のユダヤ人がチグリス・ユーフラテス川の地域に連れ去られていきました。彼らは異教の地で異教の神崇拝の圧力にさらされながらも、天地創造の神への信仰を失わず、イスラエルの伝統を守り続けました。この辺の事情は旧約聖書のダニエル書からもうかがえます。バビロン捕囚が終わってイスラエル帰還が認められても、全てのユダヤ人が帰還したわけではなく、東方の地に残ったユダヤ人も多くいたことは、旧約聖書のエステル記からも明らかです。そういうわけで、東方の地ではユダヤ人やユダヤ人の信仰についてはかなり知られていたと言うことができます。「あそこの家は安息日を守っているが、かつてのダビデ王を超える王メシアがでて自分の民族を栄光のうちに立て直すと信じ待望しているぞ」という具合に。そのような時、世界の運命を星の動きで予見できると信じた人たちが二つの惑星の異常接近を目撃した時の驚きはいかようであったでしょう。
 
学者のグループがベツレヘムでなく、エルサレムに行ったということも興味深い点です。ユダヤ人の信仰をある程度知ってはいても、旧約聖書自体を研究することはしなかったでしょうから、旧約聖書ミカ書にあるベツレヘムのメシア預言など知らなかったでしょう。星の動きをみてユダヤ民族に王が誕生したと考えたから、単純にユダヤ民族の首都エルサレムに行ったのです。それから、ヘロデ王と王の取り巻き連中の反応ぶり。彼は血筋的にはユダヤ民族の出身ではなく、策略の限りを尽くしてユダヤ民族の王についた人なので、「ユダヤ民族の生まれたばかりの王はどこですか」と聞かれて驚天動地に陥ったことは容易に想像できます。メシア誕生が天体の動きをもって異民族の知識人にまで告知された、と聞かされてはなおさらです。日本語訳では「不安を抱いた」とありますが、ギリシャ語原文の正確な意味は「驚愕した」です。それで、権力の座を脅かす者は赤子と言えども許してはおけぬ、ということになり、マタイ2章の後半にあるベツレヘムでの幼児大量虐殺の暴挙に至ったのであります。
 
以上みてきたように、本日の福音書の箇所の記述は、自然現象から始まって当時の歴史的背景全てに見事に裏付けされることが明らかになったと思います。ひとつ問題な点は、東方の学者グループがエルサレムを出発してベツレヘムに向かったとき、星が彼らを先導して赤子イエスがいる家まで道案内したということです。これなど本日の箇所で一番SFじみていて、まともに信じられないところです。人によっては、ハレー彗星のような彗星の出現があったと考える人もいます。それは全く否定できないことです。ただし、本説教では、確認できることだけをもとにして記述の信ぴょう性をみていこうという方針なので、彗星説は可能性はあるけれどもちょっと脇においておきましょう。先に述べたように、木星と土星の重なるような接近は紀元前7年は一回限りでなく、しつこく何回も繰り返されました。エルサレムからベツレヘムまで10キロそこそこの行程で学者たちが目にしたのは同じ現象だったという可能性があります。星が道案内したということも、例えば私たちが暗い山道で迷って遠くに明かりを見つけた時、ひたすらそれを目指して進みますが、その時の気持ちは、私たちの方が明かりに導かれたというものでしょう。劇的な出来事をいいあらわす時、立場をいれかえるような表現も起きてくるのです。もちろん、こう言ったからといって、彗星とか流星とかまた何か別の異例な現象があったことを否定するものではありません。ここでは、ただ確認できることだけに基づいて福音書の記述をみてみようということであります。
 
確認できることとして他にまだ何かあるかと言うと、先日、フィンランドのルター派国教会関係の新聞をみていましたら、ベツレヘムの星は紀元前3年の木星と金星の重なる接近とする説もあるという話がでていました。ただ、この場合は、ヘロデ大王死去の後になってしまうので聖書の記述と一致しなくなります。もし、ヘロデ大王がヘロデ・アルケラオにとってかわった年が、この木星・金星の接近後ということが歴史学的に確定されれば別ですが。どうでしょうか。
 
こうしてみると、確定できることというのは、とても限られていると言うことができると思います。現在の時点で入手可能な資料や天文学や科学の成果をもって、確認できないことに出会った時は、すぐ「ありえない、存在しない」と決めつけてしまうのではなく、それは、現在の知識の水準を超えたことで肯定も否定もできないものだと、一時保留の態度がよいのではないかと思います。とにかく、神は太陽や月や果ては星々さえも創造された(創世記1章16節)方なのですから。全知全能の神は永遠にほめたたえられますように。

3.                            信仰の出発点について

 以上みてきたように、本日の福音書の箇所の記述は、自然現象からみても歴史的背景からみても、確認できる事柄をもってしても、空想の産物とは言えない真実性がある、主観が混じっているかもしれないが実際に起きたことについての忠実な記録であると言っても大丈夫なことが明らかになってきました。それでは、これであなたは聖書に書いてあることが本当であるとわかって、イエスを救い主と信じますかと聞くと、なかなかそうはならないのではないかと思います。仮に本日の箇所はOKだとしても、他の奇跡や超自然的な出来事の真実性はどう確認できるのか、と問い始めるでしょう。そういう人たちは、タイムマシンにでも乗って聖書に書かれてある出来事が全て記述のとおりに起きたことを見て確認できないと信じないと言っているようなものです。ところが、私たちはイエス・キリストを目で見たことがなく、彼の行った奇跡も十字架の死も復活も見たことはないのに、彼を神の子、救い主と信じ、彼について聖書に書かれてあることは、その通りであると受け入れています。タイムマシンはいらないのです。どうしてそんなことが可能なのでしょうか。
 
 イエス・キリストを救い主と信じる信仰が歴史上どのように生まれたかをみてみると、はじめにイエスと行動を共にした弟子たちがいる。彼らはイエスの教えを間近に聞き、時には質疑応答をしたりして、しっかり記憶にとどめる。またイエスに起きた全ての出来事の至近の目撃者、生き証人となり、特に彼の十字架の死と死からの復活のゆえにイエスを旧約聖書の預言の成就、神の子、救い主であると信じるに至る。そして今度は彼らの命を惜しまないような宣教と証言を聞いて、イエスを見たことのない人たちが彼を神の子、救い主と信じるようになる。そのうちに信頼できる記録や証言や教えが集められて聖書としてまとめられ、今度はそれを土台にイエスを見たことのない人たちが信じるようになる。それが世代ごと時代ごとに繰り返されて、2000年近くを経た今日に至っているのであります。私たちはこの途切れることのないチェーンのひとつの結び目なのであります。
 
では、どうして先代が残した記録、証言、教えの集大成である聖書に触れることで、会ったことも見たこともない者を神の子、救い主として信じるようになったのか。それは、「遥か2000年前に遥か遠い国で起きたあの出来事は、実は現代を生きる私にかかわっていたのだ、この私のために神がイエス様を用いて行った業なのだ」と気づいて、そう信じたからです。それでは、どのようにしてそう気づき、信じることができたのでしょうか?実はこのことは、昨年9月の本日吉教会での礼拝説教において、ペトロがイエス様をメシア、神の子と告白した出来事(マタイ16章13-20節)について教えた時に明らかにしました。少しおさらいをしてみましょう。
 
ペトロの告白に対してイエス様は、お前に私の正体を現したのは「血と肉の塊にすぎない人間ではなく、わたしの天の父だ」(ギリシャ語原文に忠実な訳です)と述べられます。「血と肉が明らかにしたのでない」という意味は、ペトロ自身を含め、人間が単なる血と肉の生身にとどまる限り、誰もイエス様の正体はわからないということであります。神が人間に力を働かせないとわからないのであります。神の力が働かなければ、どんなに知識や学識を蓄えても、優秀な頭脳をもっていても、それは単なる血と肉の能力にしかすぎず、イエス様の正体はわからないのであります。逆に言えば、知識や学識がなくても、神の力が働けば、イエス様の正体はわかるのであります。このことをわかるために次のような事例を挙げてみました。
 
 高校か大学に世界の諸宗教という授業を設けて、今日はキリスト教をみてみましょうと言って、パワーポイントでも使ってボードに「キリスト教の信仰」という題を映し出し、それに続いて次のような記述を学生たちに見せたとします。
「最初の人間アダムとエヴァが陥った神への不従順と罪がもとで、人間は死する存在になってしまった。人間は代々死んできたように、不従順と罪を代々受け継ぎ、それらがもたらす裁きと呪いの下に置かれてしまった。神は、人間が永遠の命を持てて再び創造者のもとに戻ることが出来るようにと、ひとり子イエスをこの世に送り、本来人間が受けるべき不従順と罪の裁きと呪いを全てイエスに肩代わりさせて十字架の上で死なせた。これによって人間を不従順と罪の奴隷状態から解放した。その解放の代価は、まさに神の子の血であった。しかし、それだけに終わらず、神はイエスを死から復活させることで、死を超えた永遠の命、復活の命への扉を人間に開いた。このようにして、天と地と人間を創造した神は、ひとり子イエスを用いて人間救済を全部自分で実現した。」
 
これを学生に写させて、来週テストしますと言えば、いい点取りたい者はみな、キリスト教徒でなくても覚えてきて答案を書きます。キリスト教徒はこういうふうに考えているんだな、と頭で理解します。つまり、この場合、「キリスト教の信仰」というものは、知識にしかすぎません。
 
ところが、ああ、あの2000年前の今のパレスチナの地で起きた出来事は、実は今を生きている自分のためになされたのだ、とわかった瞬間、全てが一変します。その時、イエス様を自分の救い主と信じ、洗礼を受けて、神が実現した救いを所有する者となります。この救いの所有者は、既にこの世において神の国の立派な一員として迎えられ、永遠の命、復活の命に至る道を歩み始めます。そして、この世の終わりの日にその新しい命を持って生き始めることになります。もちろん、この世にいてまだ肉をまとっている以上、私たちの内には不従順と罪が宿っている。しかし、イエス様を救い主と信じる信仰に生きる以上、神の側では、イエス様の犠牲に免じてそれらを不問にして下さる。神が実現した救いをしっかり受け取った者として私たちを見て下さる。私たちの側では、このような深い愛と恵みをもって自分を扱って下さる神を賛美し絶えず感謝しようという心が生まれ、その神の意志に従って生きようとするのが自然になっていく。神を全身全霊で愛し、隣人を自分を愛する如く愛することが当然という心が育っていく。このように、2000年前の出来事が今を生きる自分のためになされたと分かった時、人は新しく創造されます。肉に宿る古い人間を日々死に引き渡し、洗礼によって植えつけられた新しい人間を日々育てていく、そういう存在に新しく創造されるのであります。2000年前の出来事について、またキリスト教そのものについて、どれだけたくさんの事柄を知っていても、この「自分のためになされた」ということがなければ、それは単なる知識にとどまります。知識だけでは、イエス様を神の子、救い主と信じる信仰は生まれません。
 
それでは、「自分のためになされた」ということはどのようにして起きるのでしょうか?それは、先ほどのペトロとイエス様のやりとりからも明らかなように、神の力が働かないとそうならないのであります。神が聖霊を送って人間に作用しないとそうならないのであります。私たちキリスト教徒は、神の力が聖霊を通して働いたからそうなったのであります。この自分が天と地と人間を造られた神にこれほどまでに目を留められて愛されていたかをわかるというのは、まさに聖霊が働いたことによるのです。

4.                            おわりに

神がイエス様を用いて実現された救いは全ての人間に開かれています。しかし、人がその救いを所有できるようになるためには、その人に神の力が働かなければなりません。私たちは、洗礼を通して既に聖霊を授かった者たちです。どうしたら他の人々にも神の力が及んで救いの所有者になることができるか、このことを考えて行動していくことは、神から私たちに課せられた責務であると述べて、本説教の結びとしたく思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン