2015年6月30日火曜日

奇跡が奇跡でなくなる日 (吉村博明)


説教者 吉村博明 (フィンランドルーテル福音協会宣教師、神学博士)

主日礼拝説教2015年6月28日 聖霊降臨後第五主日

イザヤ書58章11-14節
コリントの信徒への第二の手紙5章1-10節
マルコによる福音書3章1-12節

説教題 「奇跡が奇跡でなくなる日」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン


わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.      安息日の主イエス様

 本日の福音書の箇所は少し複雑なので、解きほぐすように理解していきたいと思います。

まず、安息日に病気を治すことが安息日に仕事をしてはならないという掟に反するかどうかという問題が起きます。先週の主日も安息日についての掟が問題となりました。少しおさらいをしますと、ある安息日にイエス様と共に町から町へと移動していた弟子たちが空腹に見舞われて通りがかりの麦畑の麦を取って食べ始めました。戒律に厳しいファリサイ派の人たちがそれを見て、脱穀作業をしたのも同然と言いがかりをつけ、仕事をしてはならないという安息日の掟を破ったと先生のイエス様を批判しました。そこでイエス様は、かつてダビデが祭司専用のお供え物を食べたことを引き合いに出して、安息日の守り方の中身も何が神の意思に沿っているかいないかが大事で、人間が自分の見方で決めることではないと教えました。ダビデのサウルから逃げる旅も、またイエス様の弟子たちの宣教旅行もみな神の意思によるものでした。イエス様は神のひとり子ですから、何が神の意思に沿うかは一番ご存知でした。まさに「安息日の主」なのです。それから、安息日というのは、古い契約の民にとっては、エジプトの奴隷状態からの解放を記念して霊的な休息を得る日でした。それが新しい契約のもとで生きるキリスト信仰者にとっては、罪と死の奴隷状態からの解放を記念して霊的な休息を得る日となりました。まさにそのために、「安息日は人のためにある」のです。

さて、本日の福音書の箇所の最初の舞台は安息日の会堂です。人が大勢いるところをみると、礼拝が始まる直前か直後か、あるいは礼拝の最中かはっきりわかりませんが、いずれにしても礼拝の時間帯に重なる場面です。そこでイエス様は、片腕が麻痺状態になっていた人の手を元どおりにするという癒しの奇跡を行いました。周りには、ファリサイ派の人たちがいて、この男はまた安息日の掟を破るかどうか見届けてやろう、破ったら最高法院に訴えてやろう、と注視しています。イエス様はそれを知っての上で癒しました。安息日の掟にしても他の掟にしても、神の意思に沿うように理解し守らなければならないのに、宗教エリートたちは自分たちの見方に基づいて作り変えてしまった。イエス様はそのことをひどく悲しみました。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか、命を救うことか、殺すかとか」というイエス様の問いは、まさにファリサイ派が陥ってしまった矛盾を突くものでした。  
     
ファリサイ派の人たちは、自分の目でイエス様の奇跡の業を目撃したにもかかわらず、そこに神の力が働いたことを素直に認めることもせず、自分たちの見解が覆されたことのくやしさだけで身も心も一杯でした。とうとうイエス様を殺す計画が話し合われ始めました。既に「かたくなな心」であったのが、一層かたくなになったのです。これでイエス様の十字架への道が決定づけられていきます。これは驚くべきことです。というのは、神の意思を正確に知らしめようとすればするほど、それに反対する力を呼び起こし、神の意思の実現を阻止しようとするからです。しかし、阻止があればあるほど、最後には反対する力が木端微塵に打ち砕かれるくらいに神の意思が完全に実現することになる。まさに反対する力があったおかげとさえ言えるような勝利がもたらされる。イエス様の十字架の死と死からの復活は、まさにそのようなものだったのです。

2.奇跡のパニック

 会堂の出来事の後、イエス様と弟子たちはガリラヤ湖に移動します。すると、その日の出来事の噂がどんどん広まっていったのでしょう。まず地元ガリラヤ地方の人たちがぞろぞろついて来ました。皆簡単には治らない病気を抱えていたり悪霊に憑りつかれた人たちでした。集まる人たちの群れは日に日に拡大していきました。ユダヤ地方とその中心地エルサレムからも、さらに南のイドマヤ地方からも、東のヨルダン川の対岸の地方からも、さらに北にあるローマ帝国シリア州の都市シドンとティルス周辺からも集まってきました。皆イエス様から病気を癒していただこうと、また悪霊を追い出してもらおうと集まって来たのです。群衆の押し寄せる圧力というのは相当なものです。とにかく、後ろの方から大勢の人が押してきますので、前の方でもう止まってと言っても、後ろの人たちにはわかりません。ただただ前に進もうとするので、前にいる人は本当に押し潰される危険に晒されます。イエス様が舟に乗って、少し岸から離れようとしたのも無理はありません。一人一人を相手にして語りかけたり手を取ったりして癒す余裕などありません。人々はイエス様の服に触れただけでも癒されるとわかると(マルコ529節、656節)、もう見境なくなりました。ただ我も我もと押し寄せるだけになりました。

イエス様が癒したのは病気だけではありません。汚れた霊に憑りつかれた人たちからそれを追い出すこともしました。汚れた霊とか悪霊というものは、人間を様々な仕方で苦しめることで、自分は神から見放されたとか、また神など何の役にも立たないとか存在しないと思わせて、人間と神の間を引き裂くことを目的とする存在です。イエス様がそのような霊に苦しめられている人の前に立つと、霊は皆パニック状態に陥ったことが福音書の中で伝えられています。本日の箇所では、霊がイエス様にひれ伏して「あなたは神の子です」と叫びました。マルコ1章では、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体はわかっている。神の聖者だ」(24節)。ガリラヤ湖の東側のゲラサ地方でも霊は、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」(57節)と叫びました。

興味深いことに、汚れた霊たちはイエス様が誰であるかを正確に知っていました(マルコ134節も)。人間たちは、この時点ではおそらくまだイエス様のことを「神の子」とは告白しなかったでしょう。ペテロがイエス様のことをメシアと告白するのはもっと後のことです(マルコ829節)。イエス様のことを人々は、神から力を授かった預言者の一人と考えていたようです。

さらに興味深いのは、群衆のいる前でイエス様の正体を言い当てた霊に対して、イエス様が「黙れ」と言って話すことを許さなかったことです(マルコ125節)。本日の箇所でイエス様は、自分のことを言いふらしてはならないと霊たちに厳しく戒めました(12節)。マルコ134節によれば、イエス様が霊たちに黙るように命じたのは、イエス様について人々に言いふらさないようにするためでした。なぜイエス様は、自分のことを人間よりも正確に知っている汚れた霊や悪霊に自分のことを言い広めてはいけないと禁止したのでしょうか?相手が霊ではなくて人間の場合でも、イエス様が言いふらさないように命じたことが沢山あります(マタイ84節、30節、9章9節、30節、1620節、マルコ716節、ルカ514節など)。なぜ、イエス様は、御自分のことを公けにしたがらなかったのでしょうか?

これはいわゆる「メシアの秘密」という新約聖書学の学説にも関係することなのですが、それは一つの学説ですので学界には賛否両論があります。学界の議論は脇に置いて、福音書に書かれていることをもとにしてこの疑問に答えることが出来ます。なぜ、イエス様は、御自分のことを公けにしたがらなかったのか?それは、イエス様がこの世に送られた目的の一つは、神の国と神の意思について人々に正しい理解を与えることがありました。旧約聖書の中にそれらについて記されているのですが、それが間違って理解されていたのです。イエス様は神のひとり子ですから、それらについて正しく知りうる立場にありました。それ故、正しく教えることのできる唯一の方だったのです。しかし、イエス様の目的は実は、正しい知識の提供だけではありませんでした。神と人間の間に出来てしまった断絶をなくして、両者の結びつきを回復するという大事業、そのために自分を犠牲の生け贄にして人間に真の救いを提供するという大事業があったのです。この大事業は、イエス様の十字架の死と死からの復活によって成し遂げられました。

しかしながら、人間の方はと言えば、病気を治してくれたり空腹を満たしてくれるありがたいイエス様に関心が集中していました。5千人の人たちの空腹を僅かな食物で満たす奇跡を行った後で群衆がイエス様の後を追いかけて行きました。イエス様は彼らの本当の目的を見透かして言いました。「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」(ヨハネ626節)。神と人間の間の断絶を解消するために、まず人々に教え、最後には命を捧げるために来たのに、人々はもっと身近なことにしか関心を持たない。そこにイエス様の直面したジレンマがありました。

イエス様がメシアであることを公けにしてはならないと言うのも、当時の政治状況から理解できます。メシア救世主とは、人間を罪と死の奴隷状態から解放して、最後の審判の日に神の意思に沿う人を集めて神の国に迎え入れる人物という理解がはっきりするのは、イエス様の十字架と復活の出来事の後です。十字架と復活が起きる前の段階では、大半の人はメシアというものを、ユダヤ民族を異民族支配から解放して民族自決国家を実現させてくれる王様という理解をしていました。そういう時に、イエス様はメシアだ、と言い広めたら、どうなったでしょうか?ガリラヤにいてもどこにいても、すぐ占領者ローマ帝国に反乱を企てる者との嫌疑をかけられて逮捕されてしまったでしょう。エルサレムに入城するまではそのようなことは避けなければならなかったのです。

それでは、なぜイエス様は悪霊たちに自分の正体を言い広めることを禁じたのでしょうか?それは、悪霊のそもそもの目的を思い出せば簡単です。先ほども申しましたように、悪霊の目的は、人間を様々な仕方で苦しめることで、自分は神から見放されたとか、また神など何の役にも立たない、存在しない、と思わせて、人間と神の間を引き裂くことです。端的に言って、いくら悪霊がイエス様の正体を正しく知っているとは言っても、そのまま人間に正しく伝えるということは絶対にありえません。そんなことをしたら自分たちの本来の目的に反することをしてしまうからです。それでイエス様は悪霊に話すことを禁じたのです。

ルターも教えているように、悪霊は聖書をよく知っていて、どこの部分で誤った理解を与えれば人を絶望に追い込めるかも知っています。悪霊が次のように言ってきたとします。「神はお前が罪の汚れを持っていることをよくご存知だ。だから神はお前に対して怒り、それでお前は今のような悲惨な状態に陥ったのだ。」そのような場合、ルターにならって次のように言い返します。「確かにお前の言うように私は罪の汚れを持つ者だ。しかし、まさにそのために神はイエス様をこの世に送られ、十字架の死に引き渡されたのだ。もし神が罪の汚れを持つ人間を怒っているのであれば、イエス様を送られることも、十字架の死に引き渡すこともしなかったであろう。」こう言えば、相手は何も言えなくなります。

3.神の国を垣間見せた奇跡

 以上、本日の福音書の箇所が教えていることについて述べてきました。ここで、少し見方を広くして、そもそもイエス様はなぜ奇跡の業を行ったのかについて考えてみたく思います。

 イエス様は数多くの奇跡の業を行いました。無数の不治の病を治したり、悪霊を追い出したり、何千人もの人の空腹を僅かな食べ物で満たしたり、嵐のような自然の猛威を静めたりしました。嵐の中を湖の水の上を歩いて移動したり、既に息を引き取った人を生き返らせたりしました。イエス様の服に触れただけで病気が治ったということを読むと、奇跡というのはイエス様が自分から働きかけなくとも、彼から何か不思議な力が放出されて、人がそれに接触しただけでも起きるものと言うことができます。自分から働きかけをしてもしなくてもイエス様から何か力が人間に及ぼされるというのは、一体どういうことなのでしょうか?これは、イエス様が教えていた神の国というものに関係があります。

 イエス様が活動を開始した時、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と公けに言われました(マルコ115節)。この「神の国は近づいた」の「近づいた」は、ギリシャ語の動詞エーンギケンηγγικενですが、本当は「もう既に来た」とか「もうここにある」という意味です。これは、ちょっとおかしなことです。と言うのは、神の国とは、「ヘブライ人への手紙」12章にあるように、本当ならば、今あるこの世が終わりを告げて全てのものが揺り動かされて取り除かれる時、唯一取り除かれないものとして現れるものだからです(2629節)。つまり、終末の時、最後の審判の日、死者の復活が起こる日に見える形で現れる国です。そうすると、まだこの世の終わりでない時に、イエス様が神の国は既に来ている、と言ったのはどういうことなのでしょうか?

それは、神の国が人間の目には見えない形ではあるがイエス様と一体となって来たということです。神の国は、黙示録21章にあるように、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」ところで、神が迎え入れた人たちの目から涙をことごとく拭い取って下さるところ(4節)です。また19章にあるように、結婚式の盛大な祝宴にもたとえられます。使徒パウロによれば、そこに迎え入れられる人たちは朽ちるものから朽ちないものに変えられ(第一コリント154255節)、そのような人たちをイエス様は「天使のような者」と呼びました(マルコ1225節)。こうして見ると神の国とは、病気がなく皆完全に健康な者となり、この世での労苦が全て労われ、また被った不正義が最終的に全て償われるところです。悪霊たちにとっても、神の国が到来する日は自分たちがまっさきに永遠の炎に投げ込まれると知っているので、何よりも来てほしくないものです。イエス様から奇跡の業を受けた人たちというのは、このような神の国の中での存在の仕方が身に降りかかったと言うことができます。病気などないという存在の仕方が身に降りかかって病気が消えてしまったということです。そのようなことが起きたのは、まさに神の国がイエス様とくっつくようにして一緒にあったからです。それで、奇跡を受けた人たちは、自分で気づいていたかどうかはともかく、遠い将来に見える形で現れる神の国を垣間見たとか、味わったことになるのです。神の国では奇跡でもなんでもない当たり前のことがこの世で起きて奇跡になったのです。

ところが、イエス様が神の国ということで人間に行ったことで最も大切なことは、奇跡の業を通して味あわせたということではありません。そうではなくて、イエス様が行ったのは、人間が神の国に入れないように邪魔していたものを取り除いて、入れるようにしてくれたということです。それを可能にしたのが、イエス様の十字架の死と死からの復活の出来事でした。人間と神との結びつきを断ちきる原因であった人間の罪を、イエス様が全て請け負ってその罰を代わりに受けて死なれた。そして三日後に復活させられることで、死を超えた永遠の命に至る扉を人間に開かれた。人間は、これらのことが本当に自分のために起こったのだとわかって、それでイエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、神から「罪の赦しの救い」を得て、神との結びつきが回復し、永遠の命に至る道の上に置かれて、それを歩み始めることとなります。今はまだ見えない神の国と目には見えない結びつきができたのです。

4.神の国に結ばれた者として生きる

 こうして見るとキリスト信仰者というのは、この世の人生の出口とその次の永遠の命の人生の入り口の両方がセットになって定まった者ということができます。しかし、それでめでたしめでたしということではありません。これからその時までをどう生きるかが大事になってきます。永遠の命に至る道に置かれたとは言っても、それで道を踏み外さないという保証は何もありません。踏み外さないで歩めるためにはどうすればいいのか?それは、神の意思に沿う生き方をすることです。それは、どんな生き方でしょうか?

イエス様は神の意思を簡潔に要約して、神を全身全霊で愛すること、そしてその上に立って隣人を自分を愛する如く愛することであると教えました。そこで、果たして自分は神をそのように愛しているか、隣人をそのように愛しているか、自己吟味しますと、人によっては、自分はこれこれのことを成したと言って、出来たことに目が向いて誇らしくなる人がいるでしょう。また人によっては、これこれのことが出来なかったと言って、出来なかったことに目が向いて自己嫌悪に陥ってしまう人もいるかもしれません。両方ともそこで終わってはいけません。そこで終わったら、前者は砂の上にお城を建てるようなものになってしまい、後者は大きな砂の穴から出ようとしてさらに砂を掘るようなものです。では、どうすればよいのでしょうか?

ここで、原罪という罪の大元、罪の罪が神によって赦されているのを思い起こすのがよいと思います。原罪とは、たとえ行為として罪を犯さなくても、常に人間だれにでも根底に横たわっている罪です。境遇や環境の変化でもあれば、行為に現れるかもしれないし、現れなくとも思考の中で形を取るかもしれない、まさに罪の種です。それは、人間が自分の力で取り除こうとしても、また神に対して何か償いをして取り消そうとしてもできない、最初の人間アダムとエヴァの堕罪の時から全ての人間が受け継いでいる罪です。そのような奥深くて除去不可能なものが、洗礼を受けることでイエス様の神聖さを頭から被せられて覆い隠されて、神はそのような衣をまとった者としてキリスト信仰者を見て下さいます。

しかしながら、それで終わったわけではありません。今度は信仰者がその衣を手放さないようにしっかりそれを握って纏っていなければなりません。洗礼を受けたのが赤ちゃんであれば、白い衣を被せられただけで、まだそれを自分で脱ぎ捨てる力はありません。しかし、人間は堕罪の時に善悪を知る実を食べたので、何もしなければ赤ちゃんも成長すれば衣を脱ぎ捨てる力が出て来ます。両親や教保や教会が神様のことをしっかり教えて、衣を脱ぎ捨てない力を育てるようにしなければなりません。大きくなってから洗礼を受ける場合も同じです。白い衣を脱ぎ捨てない力はどうやって得られるかと言うと、イエス様が十字架で私の原罪を請け負って死なれた、そして復活されたことで私にも永遠の命に至る扉が開かれた、と絶えず思い起こすことです。それが信仰です。そうする時、原罪は残ってはいても、神は白い衣をしっかり纏っていると認めて下さり、お前は道をしっかり歩んでいるから安心しなさいと言って下さるのです。そうすれば、自分を誇っていた人も、へりくだって神を誇るようになります。また、意気消沈していた人も神を誇るようになって、もう心配しないで済むようになります。神はまことに愛と恵みに満ちた方であることがわかり、どんな時でもどんな状況にあっても神に感謝する心が生まれるのです。

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン



2015年6月22日月曜日

素敵な安息日 (吉村博明)

説教者 吉村博明 (フィンランドルーテル福音協会宣教師、神学博士)

主日礼拝説教2015年6月21日 聖霊降臨後第四主日

申命記5章12-15節
コリントの信徒への第二の手紙4章7-18節
マルコによる福音書2章23-28節

説教題 「素敵な安息日」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン


わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.      はじめに

 何年か前のヒットソングに「素敵な日曜日」というのがありました。小学生だった息子が区の特別支援学級の連合運動会でこの歌に合わせてダンスを踊ったので、私も歌詞の一部を覚えています。確か、さんさんとお日さま輝く日曜日おでかけしましょう、とか、ざあざあ雨が降ってる日曜日、傘さして長靴はいておしゃれして出かけよう、とか、ニコニコ心が躍る素敵な日曜日、とか。それを聞いていて、教会に来る人もそんな気持ちで来ることができるだろうか、などと思ったものでした。

日曜日は、週7日ある中の休みの日ですが、もちろん、実際にはお店も多く営業しているし、仕事をしている人たちは多くいます。それでも、日曜日にお店や行楽地をやっているのは、やはり休みの人が多いので買い物を多く見込めるということでしょう。ところで、1週間に7日あって七日目が休みと言うのは、多くの方はご存知と思いますが、旧約聖書の創世記の中にある出来事が背景にあります。全知全能かつ天地創造の神が万物を創造した時、6日間仕事をされ、7日目に仕事から離れて休まれ、その日を特別な日、神聖な日に定めたことに由来します(創世記213節)。その日を旧約聖書の言葉であるヘブライ語でヨーム ハッシャッヴァート(יומ השבת)とか、単に短くしてシャッヴァ―ト(שבת)とか言い、普通「安息日」と訳されています。大学関係者なら誰でも知っている英語のサバティカルという言葉もここから由来しています。

 さて、私たちキリスト信仰者は安息日である日曜日に教会の礼拝に参加してこれを守りますが、どれだけ多くの人が礼拝に参加する安息日を素敵と感じているでしょうか?もし礼拝参加に何か重荷感とか束縛感を感じる方があれば、本説教ではそれを少しでも減らせるようにしたく思います。

2.      安息日 - 奴隷状態からの解放を記念し霊的に休息する日

安息日に仕事を休んでこれを神聖なものとせよ、という神の掟は、モーセ率いるイスラエルの民が奴隷の国エジプトを脱出してシナイ半島の荒れ野にいた時、十戒の一つとして与えられました。
「安息日を心に留め、これを聖別せよ。6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。6日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、7日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(出エジプト記208節)。

 「休みなさい」と言ってくれているのはありがたいことですが、ここでポイントになっていることは、この「休め」というのは神がそうしたのでそれに倣えという命令です。つまり、「休む」というのは神の意思に従う行為であり、それをすることで自分は天地創造の神に属する者であると自分に言い聞かせ、かつ他人にも示すことになるのです。仕事を休んで安息日を神聖なものとせよ、と言うのは、仕事のことに心と時間が向けられていたのを中断して、心と時間を神に向けよ、ということです。さらに言えば、週の日に仕事も含めて生活一般のことなどでいろんな心配事があって頭が一杯になっていても、安息日にはそうした心の重荷を一旦肩から下ろして、心を神に向けなさいということです。どうやってそんなことが出来るかと言うと、例えば、次のようにお祈りします。「天の父なるみ神よ。今日は安息日ですから、あなたに心を向けたいので、この重荷を一時あなたにお預けします。どうぞ、受け取って下さい。」そうお祈りして神の足元に投げ出してしまうのです。投げ出して出来た空白を今度は礼拝の中で与えられる賜物で満たしていきます。御言葉や説教の拝聴を通して神が自分に何をしてくれたかを思い起こします。また、讃美歌を歌うことで神への賛美を声に出し、祈りの時に普段抱えている重荷の真の解決を与えてくれるように助けを祈り求めます。聖餐式がある日ならば、イエス様の血と肉を通して神との結びつきを一層強めてもらいます。こうして霊的な癒しを受けて強められた者は、十分な休養を取ったことになり、新しい1週間に臨むことができるのです。

本日の旧約の箇所は申命記でした。エジプトを脱出した後40年間続いたシナイ半島の荒れ野の移動も終わりに近づいた時の記録です。この時、神は民に対して十戒の復習をします。その安息日の掟を見ると、先ほど見ました、出エジプト記の時の掟に少し補足がなされます。安息日を守る理由が一つつけ加えられます。それは、かつてエジプトで奴隷だったイスラエルの民は休むことも許されず安息日を守るどころではなかった、その民を神が解放して下さった、だから安息日を守り神聖なものとしなさい、と言うのです(申命記515節)。天地創造の時、6日働いて七日目に休まれた神はまた、御自分の民を奴隷状態から解放して苦役をしなくても良いようにして下さった、それゆえ、安息日には解放された民、奴隷状態ではなくなった民として振る舞わなければならない、というのであります。

イスラエルの民にとって、神が解放してくれた奴隷状態というのは、エジプトにおける境遇からの解放です。神との新しい契約の中で生きるキリスト信仰者からすれば、イスラエルの民のエジプトからの解放はあまり直接関係ないもののように見えます。しかし、実はキリスト信仰者にとっても、もっと重大な奴隷状態からの解放があったことを忘れてはなりません。それは、罪と死の力の下に服していたという奴隷状態です。神はこの奴隷状態から人間を解放するためにイエス様をこの世に送られました。まさにそれゆえに、安息日とは奴隷状態からの解放を記念し霊的に休息する日であるということは、これはキリスト信仰者にとってもしっかり当てはまるのです。

3.安息日と神の意思

本日の福音書の箇所で、イエス様は安息日の間違った守り方を指摘して、正しい守り方を教えます。起きた出来事はこうでした。ある安息日に弟子たちが麦畑を通って進んで行った。その時、皆空腹を覚えて、麦の穂を摘み始めた。これを目撃したファリサイ派の人たちが弟子たちの教師であるイエス様に難癖をつけ始めた。問題となったのは、他人の麦を取ったことではありませんでした。申命記2325節をみると、隣人の麦畑の麦は自分の空腹を満たすために手で積むのは良いが、それ以上取るために鎌を使ってはいけない、という規定があります。ファリサイ派が問題としたのは、弟子たちが麦の穂を摘んだことが脱穀作業と見なされ、さらに麦の粒を取り出すために手で籾摺りをしたことも作業と見なされたことです。作業である以上は仕事で、それは安息日にしてはいけないことでそれをした、という論理だったのです。

 少し馬鹿馬鹿しく思えるような論理ですが、当人たちにとっては真面目な大問題でした。ファリサイ派は、神に約束された神聖な土地に住む民は神聖さをしっかり保たなければならない、ということをとても強調していました。そのためには神の掟を完璧に守らなければならない。安息日に仕事をしてはならないという掟があれば、完璧にその通りにしなければならない。そうしないと神の目に適う者にはなれない。そのように隙が出来ない位に細心の注意を払った結果がこうなったのです。

 ファリサイ派の批判に対してイエス様は、サムエル記上21章にある出来事を引き合いに出して反論します。それは、ダビデがサウル王から逃れる途上で祭司にパンを乞うた時の出来事です。ダビデはその時、本当は祭司しか食べることが許されていない聖別された供え物のパンをもらいました。(* 祭司アビアタルとアヒメレクについて後記の注をご覧下さい。)サムエル記上ではイエス様が言われるように、従者にもパンが分け与えられたことは記されていませんが、ダビデと祭司のやりとりを見ると後で分け与えられたと考えられます(サムエル上21345節)。将来王の位につくダビデでしたが、この時は猜疑心嫉妬心に憑りつかれたサウル王から逃れる日々を送っていました。実はそれは、神の大いなる導きの中の一コマでした。その中でもがくダビデでしたが、それはそれで神の意思に従う生き方だったのです。彼が祭司にしか許されない食べ物を得られたというのは、神の計らいによるもので、神の御心に適うことでした。

さて、イエス様の弟子たちの場合も同じでした。弟子たちは、イエス様と行動を共にし、イエス様から教えを受け、それを各地に伝える役目を果たしました。自分たちの空腹を満たすために鎌ではなく手で麦の穂を摘むのは、安息日であっても神の目から見て何の問題もないことでした。これが、もし許されなければ、弟子たちの空腹が満たされないだけでなく、弟子たちと共に神の国について人々に宣べ伝えるイエス様の活動にも支障をきたしてしまいます。ファリサイ派の人たちが自分たちこそ神の意思を守って実現しているのだと思ってやっていることは、実はその反対のことをもたらしてしまうのです。まさに、人間というのは安息日のために存在するのだ、ということになってしまいます。イエス様の教えは正反対でした。人間のために安息日が存在するのだ、と。

この教えは、本日の福音書の箇所の後にも続きます。イエス様が手の萎えた状態の人を癒したという出来事です(マルコ316節、ルカ1416節も)。それも、ちょうど安息日でした。もしイエス様が癒しをしたら訴える口実にしてやろうとファリサイ派の人たちが注視しています。それに気づいてイエス様が言います。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」これには誰も答えることができません。イエス様は人々のかたくなな心を悲しみながら(マルコ35節)、その人の手を元通りに治してあげました。

 ここで、ひとつ注意しなければならないことがあります。イエス様は安息日に好き勝手にあちこちを巡回して人助けだけしていたということではありません。ルカ416節を見ますと、ナザレの町で安息日に会堂に入って聖書の朗読をした出来事があります。つまり安息日の礼拝に出席したということですが、この出席が「いつものように」と書いてあります。ギリシャ語原文を見ると、安息日の礼拝に出席するのはイエス様にとって習慣であった、という表現です(κατα τω ειωθος αυτω)。イエス様もちゃんと安息日を守る方でした。そしてその上で病人を癒したりしたのでした。安息日に何をしてはいけないか、何をしなければならないか、ということはイエス様が全て正確にご存知なのです。というのは、彼は神のひとり子なので、父なるみ神の意思を誰よりも一番知りうる立場にあったからです。ファリサイ派の人たちは、自分たちこそが神の意思を一番知っている者であると自惚れがあり、掟をそれこそ人為的に作り変えて、それを守らなければ神の目に失格だと烙印を押すやり方でした。神の意思に従うなどと言いつつ、実は自分たちの意思に従わせるやり方だったのです。

4.      安息日の主、律法の主そして罪の奴隷状態からの解放者

本日の福音書の箇所の終わりでイエス様は、「人の子は安息日の主でもある」(28節)と言われます。これは、神のひとり子としての彼が安息日の意味や守り方を正確に知っているという意味です。父なるみ神の意思を正確に知りうる立場にいるので、律法全体についても正確に知っているということになります。イエス様は、安息日の主のみならず、律法の主でもあります。

 ところが、安息日の主、律法の主と言う時、それは、イエス様がただ単にそれらについて正確に知っていて、それを人々に教えることができるという意味だけではありません。イエス様が安息日の主、律法の主というのは、律法が人間に加える圧力に人間が押し潰されてしまわないように助けて下さる方という意味もあります。イエス様はそのような力を超える力を持つ方なので、人間を律法の重圧から助けて下さることができるのです。

 どういうことかと言うと、十戒の中に「汝殺すなかれ」とか「姦淫するなかれ」という掟があります。イエス様が教えたのは、外面的な行為で掟を破らないということだけでなく、心の状態も潔白でなければならないということでした(マタイ52130節)。人間一人一人を造られて命と人生を与えられた神は、一人一人の心の奥底までもお見通しで、何も隠し立てすることはできない。外面的な行為で罪を犯さなくとも、心の状態まで問われたら誰も罪のない人間などいなくなってしまうのです。そのことを、詩篇の御言葉を引用して(1413節、5324節)使徒パウロは言います。「正しい者はいない。一人もいない」(ローマ311節)。律法とは実は、守ったら神の目に適うものとされる手段ではなく、人間がただただ神の目に適うものではないことを暴露する鏡のようなものだったのです。

このように全ての人間は、一番最初の人間アダムの時から、神の怒りを受ける存在となってしまったのでした。神は神聖そのものなお方です。神聖さというのは、罪の汚れを許さず、それを持つ人間も一緒に焼き滅ぼしてしまう力を持つものです。それが本当の神聖さというものです。しかし神は人間が焼き滅ぼされることを望まなかった。御自分がお造りになり命と人生を与えた人間ですから。しかし、神の神聖さというものは罪の汚れをほってはおけない。ではどうしたらよいか?

そこで神がとった打開策は、ひとり子のイエス様をこの世に送り、彼に人間全ての罪を請け負わせ、あたかも彼に全ての責任があるようにして全ての罪の罰を受けさせて、十字架の上で死なせた。つまりイエス様を犠牲の生け贄にしたのです。さらに一度死んだイエス様を今度は死から復活させて、死を超えた永遠の命に至る扉を人間のために開かれた。そこで人間がこれらのことは自分のためになされたのだとわかって、それでイエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受ければ、それを見た神はイエス様の犠牲に免じて人間を赦すということにしたのです。罪はお前の心の中に残るかもしれないが、お前はわが子イエスの犠牲に免じて赦されたのだから安心しなさい。お前は、言わば高い犠牲を払って罪の奴隷状態から買い戻されたのだ。新しい命を与えられたのだからそれに相応しい生き方をしなさい。罪を行為で犯さないように注意しなさい。聖書の御言葉を武器にして心の中にある罪と戦いなさい。お前は死と罪の力に勝利したイエスとしっかり結ばれていることを忘れないようにしなさい。こうしたことを神はおっしゃって下さっているのです。

そうは言っても、毎日の生活の中でいろんな課題があり、いろんな人間関係の中で生きなければなりません。それらのことが原因となって、神の意思にそぐわない思いが心の中に渦巻き始めます。また、生活一般の悩み事や心配事が心を縛りつけたりしてしまいます。しかし、キリスト信仰者は、1週間に少なくとも1日は罪の赦しを頂いたことを公けに確認できる日があります。また、心を縛りつけるものから解放されて、神に心を向けることができる日があります。それが安息日です。

先ほども申しましたように、安息日に、悩み事心配事を神の足元に投げ出して、そこで出来た空白を今度は礼拝の中で与えられる賜物で満たしましょう。御言葉や説教の拝聴を通して神が自分に何をしてくれたかを思い起こしましょう。讃美歌を歌って神への賛美を声に出し、祈りの時に普段抱えている重荷の真の解決を与えてくれるように助けを祈り求めましょう。聖餐式がある日には、イエス様の血と肉を通して神との結びつきを一層強めてもらいましょう。こうして霊的な癒しを受けて強められて十分な休養を取った者として、新しい1週間に臨んでいきましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン


(*)マルコの記述によれば、ダビデが供え物のパンをもらった祭司はアビアタルですが、サムエル記上21章ではこの祭司はアヒメレクとなっています。よく言われるのですが、これはマルコが間違えたのでしょうか?これは、そう単純な問題ではありません。マルコが福音書を書く時に資料として受け取った伝承の中にアビアタルの名があった可能性も考えなければなりません。その際、パピアス伝承を信じれば、ペトロがアビアタルの名を言ったことになります。パピアスを信じなければ、書かれたものか口伝えのものかマルコが受け取った伝承のなかにその名があったことになります。さらに、イエス様自身がアビアタルの名を言った可能性も否定できません。そうなるとイエス様が間違えたことになるのでしょうか?それもそう単純ではありません。今私たちが使っている旧約聖書は紀元1000年頃に集大成された版に基づいています。イエス様の時代から1000年後のものです。イエス様の時代のサムエル記上の記述は今のものとそっくりそのまま同じだったでしょうか?死海文書を研究する人に聞いてみるのもいいですが、それでも決定的な答えがでるかどうか。

 以上のような文献成立史の観点からだけでなく、今ある文献の中からもいろんな可能性が考えられます。アビアタルというのは、アヒメレクの息子です。親子ともども祭司です。サムエル記上のアヒメレクがダビデにパンを与えた時、もしアビアタルが同席していて、父親が息子に、お前パンを持ってきなさい、と命じていたならば、渡したのはアビアタルになります。もちろんサムエル記上にはそのようなことは記されていません。しかし、神のひとり子ならその時の出来事を天から見ていて知っている筈です。いずれにしても、マルコが間違えたなどという説明はあまりにも安易すぎます。