2012年1月26日木曜日

なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのか? (吉村博明)

 
説教者 吉村博明(フィンランドルーテル福音協会(SLEY)宣教師、神学博士)
 

  
主日礼拝説教 2012年1月15日(主の洗礼日)
日本福音ルーテル横須賀教会にて

イザヤ書40:1-7、
使徒言行録10:34-38、
マタイによる福音書1:9-11

説教題 なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのか?
  
 

  
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.                            はじめに

  イエス様が洗礼者ヨハネのもとに来て洗礼志願をするとは、一体どういうことか。洗礼と言えば、ルターが小教理問答書の中で端的に述べているように、「罪の赦しをもたらし、私たちを死と悪魔から救い出すもの、そして神の言葉と約束を信じる者全てに永遠の幸いを与えるもの」であります。聖霊によって宿り、罪の汚れも不従順もない神の御子にどうして洗礼が必要なのか。本日の福音書の箇所の直前でヨハネは洗礼を受けに集まった群衆に、「私の後に強大な方が来られる。私は、屈んでその方の履物の紐を解く値打もない。その方は聖霊をもってあなたたちに洗礼を授ける。」と言います。まさにその方が洗礼を授けてほしいと言ってきた時のヨハネの驚きはいかようだったでしょうか。マタイ福音書では、その経緯が少し詳細に記述されていて、ヨハネはイエス様に「私の方が、あなたから洗礼を授けられる必要があるのに」と述べます(314節)。
 
 なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのでしょうか?ひとつ言われることは、イエス様は神の子という地位に固執せず、あえて人となって地に下ってきたが、それだけでなく大勢の人たちに混じって洗礼を受けることで、人間との連帯を一層示した、という考え方があります。連帯説はそれ自体は間違ってはいませんが、それだけでは言い尽くせないことがイエス様の洗礼にはまだ一杯あります。「ヘブライ人への手紙」415節に、人となったイエス様が人間の弱さを理解できるのは「全てのことにおいて人間と同じように試練に遭われたからだ」と言われていますが、そこには「罪に陥ることを除いては」とちゃんと但し書きがあります。罪と不従順を持たないということからみれば、イエス様は、元来洗礼を受ける必要はなかったのであります。しかし、聖書をもっとよく見ていくと、やはりイエス様はあの時、ヨハネから洗礼を受けなければならなかったことが明らかになります。そうなると、イエス様の洗礼は罪や不従順の赦しを受けるのとは異なる意味を持ちます。連帯説では、イエス様の洗礼の意味は、必要ないのにわざわざ受けたということで、人との連帯を示すための見かけのものになります。しかし、イエス様の受けた洗礼は見かけなどではなかった。起きなければならないことだったのです。以下にそのことを見ていきましょう。
  
 
2.                            洗礼者ヨハネの洗礼について

 まず、洗礼者ヨハネの洗礼とはどんなものであったかについて見てみましょう。イエス様の時代のユダヤ教社会では、霊的な汚れから清めるために水が用いられたということがありました。例えば、食事の前の手洗いにもそのような霊的な清めの意味があると考えられ、それがもとでマルコ福音書7章にあるイエス様とファリサイ派・律法学者との間の有名な論争が生まれました。そこでは、イエス様の弟子たちが手を洗わないで食事をしたことが非難されます。それに対してイエス様は、ファリサイ派・律法学者たちが人間の作った掟に縛られて神の命じられることをないがしろにしていることを暴露し、「人を汚すものは人の外部から来るものではなく、人の内部から出てくるものが人を汚すのだ」と教えます(715節)。加えて、人の内部から出てくるものとは、人の心から出てくるものであると言い、どんなものが出てくるかというと、まず邪悪な考えがあり、それに伴って「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、妬み、悪口、傲慢、無分別」が出てくると、列挙します(71823節)。
 
 こういう罪や神への不従順の考え・行為というものが人間の外側に張り付いた汚れではなく、人間の内部、心から出てきて、自分も他人も汚すという教えは、きっと地動説が天動説に覆されるような衝撃があったでしょう。というのは、罪や不従順が外側に張り付いている汚れのようなものであれば、洗い清める儀式をすれば除去されます。ところが、内側から次から次へと湧き出てくるものであれば、清めの儀式なんかをもってしても消し去ることはできません。外側に張り付いているものであれば、付着したらまた取って、また取って、の繰り返しをすればいいのですが、罪や不従順が内部に心に根差していて、人間の存在を根底から規定しているのであれば、いくら清めの儀式を繰り返したところで、自分と他人を汚すことはなくなりません。マルコ14節に、洗礼者ヨハネは「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」とありますが、ヨハネの「悔い改めの洗礼」の主眼とするところは、まさにこうした人間の存在を内側から根底から規定している罪・不従順を自覚し、そこからの悔い改めだったのであります。
 
この人間の存在を根底から規定している罪・不従順ということについて、あるキリスト教小説の中で言われていることを参考にして見てみたいと思います。1950年代のスウェーデンの小説で、ステーングルンデンStengrundenという題名です。「岩の基盤」、「岩盤」という意味です。作者は、スウェーデンのルター派国教会が世俗化への道を歩み始めた時代に、聖書とルターに立脚することを唱え続けたイェールツB. Giertsという同国国教会の監督です。この小説はフィンランド語にも訳され(Kalliopohja)、スウェーデンとフィンランドのルター派のリバイバル運動にあってそれこそ聖典のように読み継がれてきました。
 
1930年代のスウェーデン中部にある村の教会の集会で、主任牧師ベングツソンが、人間にとって罪と不従順がいかに根底的なものであるかを会衆に教える場面があります。ちょうど、スウェーデン社会において人間の自己中心的な自由や選択ということが強調される風潮が強まり、それが教会や教会員の信仰にも影響を及ぼしていたという時代背景があります。そこで主任牧師は、改心を遂げた人の喜びが往々にしてどのような結末を迎えるかということを、次のようなたとえで話します。
 
改心した人は、神に認められた、受け入れられたと喜び、これからは真人間に生きようと決心する。それまでの悪習、例えば飲酒、喫煙等を絶ち、また人に優しく振る舞おう、自分勝手な思いや行いはやめようと努力する。自分が新しく生まれ変わったことを実感できるために、とにかく悪いことを避け、善いことをしようと努力する。それはあたかも荒れ地に果樹園をつくろうとして、土にシャベルを入れて栽培の障害になる石を除去しようと、掘り出しては外の溝に石を捨てていく農夫の作業のようであった。ところが、掘っても、掘ってもまだ出てくる。一つ悪いことを取り除いても、別のところから別のものがでてくるし、時間がたてば前に取り除いたはずのものと同じものがまた出てくる。溝にはもう石の山が出来上がってしまった。掘る深さも深くなってしまった。そうしているうちに、シャベルはとても大きな石にあたった。掘り出そうとして、石の周りを掘り起こしてみようとするが、どこまでも続いている。ついにそれが果樹園予定地の下部全体を覆っている岩盤であることがわかる。これが、人間を根底的に規定している罪・不従順であるというのであります。
 
この根底的な罪・不従順の存在を目の当たりにした人間は、どうなるか。ひとつには、失望して、真人間になる努力は全く意味がないと見切りをつけ、改心前の生活にまた戻ってしまうことになる。もうひとつは、その岩盤にすぐ土をかぶせて、その上にきれいな花をたくさん植えて、その美しさを人々にほめてもらう。これはファリサイ派と同じ手法であると言います。主任牧師ベングツソンは、この二つに陥らない真の信仰への道を示していきます。その場合、人は自分の内部、心に、このような罪・不従順の岩盤があることを観念して認めることを出発点にしなければならないと説くのであります。
 
ここで、話を本日の福音書の箇所に戻します。洗礼者ヨハネの洗礼は、まさにこの出発点であります。先ほどマルコ14節を引用しましたが、ヨハネが宣べ伝えた洗礼とは、ギリシャ語の原文に忠実に訳すと「罪の赦しに至らせる悔い改めの洗礼」となりました。つまり、ヨハネの洗礼は「悔い改め」の印としての洗礼で、「罪の赦し」はその先にある最終目標です。従って、ヨハネの洗礼では「罪の赦し」はまだ実現されません。人間が自分自身の内部に自分の存在を規定するような罪・不従順がある、イェールツの小説に言うような冷たい大きな岩盤がある、それが自分の真実だと認めますという印の洗礼であります。そのままでは神の裁きを受けて永遠の死滅に投げ出されるだけの呪われた存在ですと認め、そこから救われるために神からいただく「赦しの救い」に全てを託し、それを待ち望みます、と表明する洗礼であります。マルコ15節に、ヨハネが洗礼を授ける際、「人々は罪を告白した」と書いてありますが、まさに罪・不従順を告白し、「赦しの救い」を待ち望む者になったことを証明する洗礼でした。文字通り「悔い改めの洗礼」でした。これで罪と不従順は洗い流されました、というような清めの儀式などではありません。
   
 洗礼者ヨハネは、洗礼を授けた後、群衆に向かって「自分の後に来る強大な方は聖霊を持って洗礼を授ける」と述べます。このイエス様が授ける洗礼、「イエス様の洗礼」こそが、最終目標である「罪の赦し」を実現する洗礼であります。このことからも、ヨハネの洗礼が「悔い改め」の洗礼にとどまることがわかります。「イエス様の洗礼」とは、彼が「父と子と聖霊との名前において」授けよと命じられた洗礼であります。私たちは、牧師を通してこの洗礼を授けられますが、洗礼を与える主体はあくまでもそれを命じられたイエス様です。牧師はそのための媒体か手段であります。従って、「牧師先生が私に洗礼を授けた」と言うのは本当は正確でなく、「私は牧師先生を通してイエス様から洗礼を授けられた」と言うのが正確です。
  
 
3.                            イエス様が洗礼者ヨハネから受けた洗礼の意味

以上から、洗礼者ヨハネの「悔い改めの洗礼」とは、人々をして、自分の内部に罪・不従順が根底的に規定していることを認めさせ、そこからの救いを神に求めて待つ印であることが明らかになりました。そして、その後に到来する「イエス様の洗礼」が、人に罪の赦しを与えて救いを実現するものであることも明らかになりました。それでは、イエス様がヨハネから洗礼を受けたというのは、彼も内部の罪・不従順を認め、救いを待ち望む者であることを示すことになったのでしょうか?いいえ、そういうことではありません。イエス様がヨハネから受けた洗礼には特別な意味がありました。それをわかるために、次の二つのことに気づく必要があります。
   
まず、イエス様がヨハネから洗礼を受けた時、他の人たちの場合には起こり得なかったことが起きました。聖霊がイエス様に下ったことと、天から「お前はわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の声が響いたということです。ヨハネの洗礼があって、イエス様は聖霊に満たされた存在になり、天と地と人間を造られた全知全能の神の子であるという確認を得られることになったのです。逆に言えば、ヨハネの洗礼がなければ、イエス様は聖霊に満たされることもなく、神の子の確認も得られず、そのままマリアとヨセフの息子としてナザレで静かに暮らしていたでしょう。
  
こうして見ると、イエス様がヨハネから洗礼を受けたことは、彼が救い主としての働きを始めた出発点になったということができます。これが、イエス様の洗礼の特別な意味の二点目です。実際、4つの福音書をみるとヨハネによる洗礼がイエス様の働きの出発点をなしていることがよくわかります。もちろん、マタイとルカ福音書には、イエス様が神の子として誕生したことが記されています。それでも、神の子として救い主として自覚的に活動を始めるのは、ヨルダン川での洗礼からです(cf. ルカ24152節)。マルコとヨハネ福音書では、ほぼイエス様の洗礼が書物自体の出発点になっています。この点に関して、使徒言行録1章に興味深い箇所があります。主を裏切ったユダにかわって使徒を選出しようということになりました。その時、選出の資格として、「主が洗礼者ヨハネの洗礼を受けた時から始まって、十字架と復活を経て、天に上げられるまで、いつも主や使徒たちと行動を共にした者」ということが定められました(2122節)。つまり、使徒たちの間でも、イエス様の救い主としての活動はヨハネの洗礼の時に始まると考えられていたのであります。
  
洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエス様は劇的な人生を一気に駆け抜けます。聖霊を受け、神の子であるとの確認を得られるや否や、いきなり荒野に連れて行かれ40日間悪魔から試練を受ける。それに打ち勝った後、本格的な宣教に乗り出す。旧約に記された神の意志とか、そこに預言された神の計画の真理について人々に解き明し、それらを誤って教える者たちを糾弾する。難病や不治の病の癒し、自然の猛威を静めるような奇跡の数々を起こし、神の国の実在性を示す。そして最後は、人間が堕罪によって失った神との関係を回復すべく、人間を罪から贖う十字架の死を敢行し、死から復活させられることで今度は永遠の命の扉を開かれる。こうして神の人間救済計画を全て実現するのであります。
 
さて、洗礼者ヨハネの洗礼は、イエス様に関しては、聖霊で満たされ神の子の確認を得て、神の人間救済計画の実現プロセスを開始する意味があるとわかりました。ここで疑問としてでてくることは、救済計画実現のプロセス開始が、どうしてヨルダン川の洗礼でなければならなかったかということです。どうして、他の場所で、例えばエルサレムの神殿ではいけなかったのかということです。このような問いに対しては、神がヨルダン川の洗礼の場にすると決めたのだから、それ以外にはあり得なかった、としか答えようがありません。
   
以上から、イエス様はなぜ洗礼を受ける必要があったのかという問いに対しては次のように答えることができます。まず、神が洗礼をもってイエス様に聖霊を注ぎ神の子としての資格を与えるためであったということ。それから、そうすることで、イエス様が神の子、救い主としての明確な自覚にたって神の人間救済計画の実現に向かうようにするためであったということです。
  
ところで、ルターは、イエス様が洗礼を通して聖霊を注がれ神の子の確認を得たことは、私たちにとって大きな意味があると教えます。神の子の確認を得たことで、イエス様が私たちのためにすること成すことの全ては神の御心に適うものとなった。それゆえ、私たちが洗礼を通してイエス様に結びつけられれば、私たち自身も神の御心に適う者になるのであります。こうして、イエス様が洗礼を受けて聖霊で満たされ神の子の確認を得たことで、私たちは自分が受けた洗礼(「イエス様の洗礼」)の重要さが一層理解できるのであり、また洗礼を受けた私たちはいかに新しく創造されたかということも一層わかるのであります。このように、ルターによれば、イエス様が洗礼を受けたことは、私たちの受けた洗礼の深い意味を理解させる役割を持っているというのであります。このことも、なぜ神はイエス様が洗礼を受けるように導いたかの答えになるでしょう。
  
 
4.                            「イエス様の洗礼」を受けた者として

 それでは、「罪の赦し」に至らせる「イエス様の洗礼」を受けた私たちキリスト教徒は、あの罪と不従順の岩盤をどうしたでしょうか?洗礼を受けたことで、岩盤は一気に消滅したでしょうか?スウェーデンはダイナマイトの発明国ですので、それをもって木端微塵に粉砕したでしょうか?驚くべき展開が待っていました。このことを先ほどの小説に出てくる主任牧師ベングツソンの説教の続から見て、本説教の結びにしたく思います。
 
 罪と不従順の岩盤のほかに、もうひとつ岩の丘があった。それはゴルガタと呼ばれる丘で、そこに十字架が立てられ、罪と不従順を持たない一人の者が磔にされた。なぜ神はこのようなことをなさったのか。神は長い間、人間の罪と不従順を見逃してきたのだが、ご自分が義の存在である以上はやはり、罪と不従順には呪いと裁きが伴うことを、また神聖という尺度で測るときは手加減は一切しないということを人間に示さなければならない。しかし神は驚くべきことに、呪いと裁きを全て、汚れの無いひとり子に被らせた。彼は私たちのために呪われた者にされ、それによって私たちは呪いから解放された。彼は私たちの目の前で罪びとに仕立てられ、それによって私たちは神が与えられる義を身に纏うことができるようになった。彼は私たちの罪を十字架の上まで背負って運び上げた。彼が受けた傷のおかげで私たちは癒された。それゆえ、ゴルガタの丘は世界で一番神聖な場所になった。神への従順な道はすべてそこに通じる。裁きが人の心を重く捕える時、イエス様を救い主と信じる者は誰でも、この従順の道を辿って、罪の帳消しの丘に登ってよいのだ。
  
そういうわけで、私たちの心の中にある罪と不従順の岩盤は、私たちを裁きに追い込む力を失ったのだ。十字架から垂れ落ちる主の血を受けて、ゴルガタの岩の丘が罪の帳消しの丘に変わったように、罪と不従順の岩盤にも主の血を振り掛けるが良い。その時神は、岩盤の上に十字の印を刻み付け、イエスと結びついた人を義なる者とするであろう。罪と不従順の岩盤は移動させられて、罪の帳消しの丘の上に置かれる。今度はこの丘が人間を内部から根底的に規定するものとなるのだ。もちろん、あの岩盤は残るので、人間は依然として罪びととして存在し続ける。しかし、負債は支払われ、呪いは打ち消されたので、人間は何の恐れもなく神聖な神の御前に進み出ることができるようになった。この罪の帳消しの奇跡を感謝できる者は、救い主の栄誉のために生きようとし始める。ここから信仰の善い実が実り始める。こうして罪と不従順の岩盤にぶち当たった人は、神の救いの業に全てを委ね、その業に自分を根底から規定させることで、豊かな実をもたらす木となるのである。
  
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年1月17日火曜日

歴史的事実と信仰ということについて (吉村博明)

 
説教者 吉村博明(フィンランドルーテル福音協会(SLEY)宣教師、神学博士)


主日礼拝説教 2012年1月8日(顕現主日)日本福音ルーテル日吉教会にて

イザヤ書60:1-6、
エフェソの信徒への手紙3:1-12、
マタイによる福音書2:1-12

説教題 歴史的事実と信仰ということについて



私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.                            はじめに

 本日の福音書の箇所は、何かおとぎ話めいて本当にこんなことが現実にあったのか疑わせるような話です。はるばる外国から学者のグループがやってきて誕生したばかりの異国の王子様をおがみに来るとか、王子様の星をみたことが学者たちの異国訪問の理由であるとか、その星が学者たちを先導して王子様のいる所まで道案内するとか。こんなことは現実に起こるわけがない、これは大昔のおとぎ話だと決めつける人もでてくると思います。
 
 本日の箇所に限らず、聖書には、奇跡や超自然的な現象が数多く登場します。イエス様についてみても、おとめからの誕生、難病や不治の病を次々に完治したこと、自然の猛威を静めたこと、その他もろもろの奇跡の業、そして死からの復活等々、枚挙にいとまがありません。聖書を読む人たちのなかには、そのような記述は古代人が読者におそれを抱かせるために創作したものだと決めてかかる人もいます。そういう人たちにとって、聖書は信仰の書、永遠不滅な神の言葉などでなく、古代オリエント世界の人々の考え方や文化を知るための一つの文化遺産にしかすぎません。他方では、奇跡や超自然的な現象を真に受けることはしないが、イエス・キリストは「信奉」してもいいという人たちもいます。イエスは当時のユダヤ教社会でとても革新的なことを教え、その教えの多くは現代にも通じるものがある、そしてその通じるものに注目し(逆に言えば通じないものは排除して)現代社会の諸問題の解決に役立てていこうと。つまり、イエス・キリストを何か一つの主義とか思想を打ち立てた思想家ないしイデオローグと見なすということです。また、彼がもとでキリスト教が生まれたのだから、仏陀やモハメッドのように一つの宗教の教祖とみなす人たちもいます。教祖であれば、仏陀やモハメッドが人間だったのと同じように、イエスも彼ら同様一人の卓越した人間だったとみられていきます。こうなると、イエスを三位一体の神の一をなす神の子であると信じる信仰となじまなくなります。それで、イエスが「信仰」の対象というより、「信奉」の対象になるのであります。
 
 さて、本説教では第一の教えとして、本日の福音書の箇所はおとぎ話と決めつけるには歴史的信ぴょう性が高い記述であるということを述べていきたいと思います。歴史を100パーセント復元してみせることは不可能です。しかし、本日の箇所は100パーセントとはいかなくとも、少なくとも80パーセント位は歴史的事実と言っていいのではないか、それくらい信ぴょう性が高いということを見ていきたく思います。それでは、聖書に書いてある出来事が仮に80パーセントくらいは真実とみなせるなら、それなら信じてもいい、ということになるのか。それとも、いや、やはり100パーセント確実でないと信じられない、ということになるのか。そういう疑問に対して、聖書に書いてある出来事が100パーセント真実であると確かめることは信仰の出発点にはならない、ということを本説教第二の教えとして述べていこうと思います。信仰の出発点は100パーセントの信ぴょう性を確立することとは別のところにある、と。それではその出発点は何か、そうしたこと考えていこうと思います。

2.                            マタイ2章112節の歴史的信ぴょう性について

最初に、本日の福音書の箇所に出てくる不思議な星の歴史的信ぴょう性についてみてみましょう。これからお話しすることは、皆さんも既に聞かれたことがあるかもしれません。イエス様が誕生した頃の天体の動きについては、似たような説がいろいろあるようです。以下に申し上げることは、私がフィンランドで読んだり聞いたりしたことに基づいたバージョンであるということをお含みおき下さい。
 
近代の天文学者として有名なケプラーは1600年代に太陽系の惑星の動きをことごとく解明しますが、彼は紀元前7年に地球から見て木星と土星が魚座のなかで異常接近したことを突き止めました。他方で、現在のイラクを流れるチグリス・ユーフラテス川沿いのシッパリという古代の天文学の中心地から当時の天体図やカレンダーが発掘され、その中に紀元前7年の星の動きを予想したカレンダーもありました。それによると、その年は木星と土星が重なるような異常接近する日が何回もあると記されていました。二つの惑星が異常接近するということは、普通よりも輝きを増す星が夜空に一つ増えて見えるということであります。さて、イエス様の正確な誕生年について諸説がありますが、本日の福音書の箇所に続くマタイ2章1323節によれば、イエス親子はヘロデ王が死んだ後に避難先のエジプトからイスラエルの地に戻ったとあります。ヘロデ王が死んだ年は紀元前4年と歴史学上確定でき(このヘロデ大王は福音書の後のほうで出てくるヘロデ・アンティパスとは異なります)、イエス親子が一定期間エジプトにいたことを考慮に入れると、木星・土星の重なる接近のあった紀元前7年はイエス誕生年として有望になります。そこで決め手となるのは、ローマ皇帝アウグストゥスによる租税のための住民登録がいつ行われたかということです。残念ながら、これは正確な記録がない。ただし、シリア州総督のキリニウスが紀元6年に住民登録を実施した記録が残っており、ローマ帝国は大体14年おきに住民登録を行っていたので、紀元6年から逆算すると紀元前7年位がマリアとヨセフがベツレヘムに旅した住民登録の年として浮上してきます。このように、天体の自然現象と歴史上の出来事の双方から本日の福音書の記述の信ぴょう性が高まってきます。
 
 次に、東方から来た正体不明の学者グループについて見てみましょう。彼らがどこの国から来たかは記されていませんが、前に述べたように、現在のイラクのチグリス・ユーフラテス川の地域は古代に天文学が非常に発達したところで、星の動きが緻密に観測されて、それが定期的にどんな動きをするかもかなり解明されておりました。ところで、古代の天文学は現代のそれと違って、占星術も一緒でした。つまり、星の動きは国や社会の運命をあらわしていると信じられ、それを正確に知ることは重要でした。従って、もし星が通常と異なる動きを示したら、それは国や社会の大変動の前触れであると考えられたのです。それでは、木星と土星が魚座のなかで重なるような接近をしたら、どんな大変動の前触れと考えられたでしょうか。木星は世界に君臨する王を意味すると考えられていました。土星についてですが、東方の学者たちがユダヤ民族のことを知っていれば、土曜日はユダヤ民族が安息日として神を称えた日と連想できるので、この星はユダヤ民族に関係すると理解されたでしょう。魚座は世界の終末に関係すると考えられていました。以上から、木星と土星の魚座のなかでの異常接近を目にして、ユダヤ民族から世界に君臨する王が世界の終末に結びつくように誕生した、という解釈が生まれてもおかしくないわけです。
 
 それでは、東方の学者たちはユダヤ民族のことをどれだけ知っていたかということについてみてみましょう。イエス様の時代の約600年前のバビロン捕囚の時、相当数のユダヤ人がチグリス・ユーフラテス川の地域に連れ去られていきました。彼らは異教の地で異教の神崇拝の圧力にさらされながらも、天地創造の神への信仰を失わず、イスラエルの伝統を守り続けました。この辺の事情は旧約聖書のダニエル書からもうかがえます。バビロン捕囚が終わってイスラエル帰還が認められても、全てのユダヤ人が帰還したわけではなく、東方の地に残ったユダヤ人も多くいたことは、旧約聖書のエステル記からも明らかです。そういうわけで、東方の地ではユダヤ人やユダヤ人の信仰についてはかなり知られていたと言うことができます。「あそこの家は安息日を守っているが、かつてのダビデ王を超える王メシアがでて自分の民族を栄光のうちに立て直すと信じ待望しているぞ」という具合に。そのような時、世界の運命を星の動きで予見できると信じた人たちが二つの惑星の異常接近を目撃した時の驚きはいかようであったでしょう。
 
学者のグループがベツレヘムでなく、エルサレムに行ったということも興味深い点です。ユダヤ人の信仰をある程度知ってはいても、旧約聖書自体を研究することはしなかったでしょうから、旧約聖書ミカ書にあるベツレヘムのメシア預言など知らなかったでしょう。星の動きをみてユダヤ民族に王が誕生したと考えたから、単純にユダヤ民族の首都エルサレムに行ったのです。それから、ヘロデ王と王の取り巻き連中の反応ぶり。彼は血筋的にはユダヤ民族の出身ではなく、策略の限りを尽くしてユダヤ民族の王についた人なので、「ユダヤ民族の生まれたばかりの王はどこですか」と聞かれて驚天動地に陥ったことは容易に想像できます。メシア誕生が天体の動きをもって異民族の知識人にまで告知された、と聞かされてはなおさらです。日本語訳では「不安を抱いた」とありますが、ギリシャ語原文の正確な意味は「驚愕した」です。それで、権力の座を脅かす者は赤子と言えども許してはおけぬ、ということになり、マタイ2章の後半にあるベツレヘムでの幼児大量虐殺の暴挙に至ったのであります。
 
以上みてきたように、本日の福音書の箇所の記述は、自然現象から始まって当時の歴史的背景全てに見事に裏付けされることが明らかになったと思います。ひとつ問題な点は、東方の学者グループがエルサレムを出発してベツレヘムに向かったとき、星が彼らを先導して赤子イエスがいる家まで道案内したということです。これなど本日の箇所で一番SFじみていて、まともに信じられないところです。人によっては、ハレー彗星のような彗星の出現があったと考える人もいます。それは全く否定できないことです。ただし、本説教では、確認できることだけをもとにして記述の信ぴょう性をみていこうという方針なので、彗星説は可能性はあるけれどもちょっと脇においておきましょう。先に述べたように、木星と土星の重なるような接近は紀元前7年は一回限りでなく、しつこく何回も繰り返されました。エルサレムからベツレヘムまで10キロそこそこの行程で学者たちが目にしたのは同じ現象だったという可能性があります。星が道案内したということも、例えば私たちが暗い山道で迷って遠くに明かりを見つけた時、ひたすらそれを目指して進みますが、その時の気持ちは、私たちの方が明かりに導かれたというものでしょう。劇的な出来事をいいあらわす時、立場をいれかえるような表現も起きてくるのです。もちろん、こう言ったからといって、彗星とか流星とかまた何か別の異例な現象があったことを否定するものではありません。ここでは、ただ確認できることだけに基づいて福音書の記述をみてみようということであります。
 
確認できることとして他にまだ何かあるかと言うと、先日、フィンランドのルター派国教会関係の新聞をみていましたら、ベツレヘムの星は紀元前3年の木星と金星の重なる接近とする説もあるという話がでていました。ただ、この場合は、ヘロデ大王死去の後になってしまうので聖書の記述と一致しなくなります。もし、ヘロデ大王がヘロデ・アルケラオにとってかわった年が、この木星・金星の接近後ということが歴史学的に確定されれば別ですが。どうでしょうか。
 
こうしてみると、確定できることというのは、とても限られていると言うことができると思います。現在の時点で入手可能な資料や天文学や科学の成果をもって、確認できないことに出会った時は、すぐ「ありえない、存在しない」と決めつけてしまうのではなく、それは、現在の知識の水準を超えたことで肯定も否定もできないものだと、一時保留の態度がよいのではないかと思います。とにかく、神は太陽や月や果ては星々さえも創造された(創世記116節)方なのですから。全知全能の神は永遠にほめたたえられますように。

3.                            信仰の出発点について

 以上みてきたように、本日の福音書の箇所の記述は、自然現象からみても歴史的背景からみても、確認できる事柄をもってしても、空想の産物とは言えない真実性がある、主観が混じっているかもしれないが実際に起きたことについての忠実な記録であると言っても大丈夫なことが明らかになってきました。それでは、これであなたは聖書に書いてあることが本当であるとわかって、イエスを救い主と信じますかと聞くと、なかなかそうはならないのではないかと思います。仮に本日の箇所はOKだとしても、他の奇跡や超自然的な出来事の真実性はどう確認できるのか、と問い始めるでしょう。そういう人たちは、タイムマシンにでも乗って聖書に書かれてある出来事が全て記述のとおりに起きたことを見て確認できないと信じないと言っているようなものです。ところが、私たちはイエス・キリストを目で見たことがなく、彼の行った奇跡も十字架の死も復活も見たことはないのに、彼を神の子、救い主と信じ、彼について聖書に書かれてあることは、その通りであると受け入れています。タイムマシンはいらないのです。どうしてそんなことが可能なのでしょうか。
 
 イエス・キリストを救い主と信じる信仰が歴史上どのように生まれたかをみてみると、はじめにイエスと行動を共にした弟子たちがいる。彼らはイエスの教えを間近に聞き、時には質疑応答をしたりして、しっかり記憶にとどめる。またイエスに起きた全ての出来事の至近の目撃者、生き証人となり、特に彼の十字架の死と死からの復活のゆえにイエスを旧約聖書の預言の成就、神の子、救い主であると信じるに至る。そして今度は彼らの命を惜しまないような宣教と証言を聞いて、イエスを見たことのない人たちが彼を神の子、救い主と信じるようになる。そのうちに信頼できる記録や証言や教えが集められて聖書としてまとめられ、今度はそれを土台にイエスを見たことのない人たちが信じるようになる。それが世代ごと時代ごとに繰り返されて、2000年近くを経た今日に至っているのであります。私たちはこの途切れることのないチェーンのひとつの結び目なのであります。
 
では、どうして先代が残した記録、証言、教えの集大成である聖書に触れることで、会ったことも見たこともない者を神の子、救い主として信じるようになったのか。それは、「遥か2000年前に遥か遠い国で起きたあの出来事は、実は現代を生きる私にかかわっていたのだ、この私のために神がイエス様を用いて行った業なのだ」と気づいて、そう信じたからです。それでは、どのようにしてそう気づき、信じることができたのでしょうか?実はこのことは、昨年9月の本日吉教会での礼拝説教において、ペトロがイエス様をメシア、神の子と告白した出来事(マタイ161320節)について教えた時に明らかにしました。少しおさらいをしてみましょう。
 
ペトロの告白に対してイエス様は、お前に私の正体を現したのは「血と肉の塊にすぎない人間ではなく、わたしの天の父だ」(ギリシャ語原文に忠実な訳です)と述べられます。「血と肉が明らかにしたのでない」という意味は、ペトロ自身を含め、人間が単なる血と肉の生身にとどまる限り、誰もイエス様の正体はわからないということであります。神が人間に力を働かせないとわからないのであります。神の力が働かなければ、どんなに知識や学識を蓄えても、優秀な頭脳をもっていても、それは単なる血と肉の能力にしかすぎず、イエス様の正体はわからないのであります。逆に言えば、知識や学識がなくても、神の力が働けば、イエス様の正体はわかるのであります。このことをわかるために次のような事例を挙げてみました。
 
 高校か大学に世界の諸宗教という授業を設けて、今日はキリスト教をみてみましょうと言って、パワーポイントでも使ってボードに「キリスト教の信仰」という題を映し出し、それに続いて次のような記述を学生たちに見せたとします。
最初の人間アダムとエヴァが陥った神への不従順と罪がもとで、人間は死する存在になってしまった。人間は代々死んできたように、不従順と罪を代々受け継ぎ、それらがもたらす裁きと呪いの下に置かれてしまった。神は、人間が永遠の命を持てて再び創造者のもとに戻ることが出来るようにと、ひとり子イエスをこの世に送り、本来人間が受けるべき不従順と罪の裁きと呪いを全てイエスに肩代わりさせて十字架の上で死なせた。これによって人間を不従順と罪の奴隷状態から解放した。その解放の代価は、まさに神の子の血であった。しかし、それだけに終わらず、神はイエスを死から復活させることで、死を超えた永遠の命、復活の命への扉を人間に開いた。このようにして、天と地と人間を創造した神は、ひとり子イエスを用いて人間救済を全部自分で実現した。
 
これを学生に写させて、来週テストしますと言えば、いい点取りたい者はみな、キリスト教徒でなくても覚えてきて答案を書きます。キリスト教徒はこういうふうに考えているんだな、と頭で理解します。つまり、この場合、「キリスト教の信仰」というものは、知識にしかすぎません。
 
ところが、ああ、あの2000年前の今のパレスチナの地で起きた出来事は、実は今を生きている自分のためになされたのだ、とわかった瞬間、全てが一変します。その時、イエス様を自分の救い主と信じ、洗礼を受けて、神が実現した救いを所有する者となります。この救いの所有者は、既にこの世において神の国の立派な一員として迎えられ、永遠の命、復活の命に至る道を歩み始めます。そして、この世の終わりの日にその新しい命を持って生き始めることになります。もちろん、この世にいてまだ肉をまとっている以上、私たちの内には不従順と罪が宿っている。しかし、イエス様を救い主と信じる信仰に生きる以上、神の側では、イエス様の犠牲に免じてそれらを不問にして下さる。神が実現した救いをしっかり受け取った者として私たちを見て下さる。私たちの側では、このような深い愛と恵みをもって自分を扱って下さる神を賛美し絶えず感謝しようという心が生まれ、その神の意志に従って生きようとするのが自然になっていく。神を全身全霊で愛し、隣人を自分を愛する如く愛することが当然という心が育っていく。このように、2000年前の出来事が今を生きる自分のためになされたと分かった時、人は新しく創造されます。肉に宿る古い人間を日々死に引き渡し、洗礼によって植えつけられた新しい人間を日々育てていく、そういう存在に新しく創造されるのであります。2000年前の出来事について、またキリスト教そのものについて、どれだけたくさんの事柄を知っていても、この「自分のためになされた」ということがなければ、それは単なる知識にとどまります。知識だけでは、イエス様を神の子、救い主と信じる信仰は生まれません。
 
それでは、「自分のためになされた」ということはどのようにして起きるのでしょうか?それは、先ほどのペトロとイエス様のやりとりからも明らかなように、神の力が働かないとそうならないのであります。神が聖霊を送って人間に作用しないとそうならないのであります。私たちキリスト教徒は、神の力が聖霊を通して働いたからそうなったのであります。この自分が天と地と人間を造られた神にこれほどまでに目を留められて愛されていたかをわかるというのは、まさに聖霊が働いたことによるのです。

4.                            おわりに

神がイエス様を用いて実現された救いは全ての人間に開かれています。しかし、人がその救いを所有できるようになるためには、その人に神の力が働かなければなりません。私たちは、洗礼を通して既に聖霊を授かった者たちです。どうしたら他の人々にも神の力が及んで救いの所有者になることができるか、このことを考えて行動していくことは、神から私たちに課せられた責務であると述べて、本説教の結びとしたく思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン