2012年2月1日水曜日

時は満ち、神の国は近づいた (吉村博明)

説教者 吉村博明(フィンランドルーテル福音協会(SLEY)宣教師、神学博士)



主日礼拝説教 2012年1月22日 顕現節第三主日 
日本福音ルーテル横浜教会にて

エレミア書16:14-21、
コリントの信徒への第一の手紙7:29-31、
マルコによる福音書1:14-20

説教題 時は満ち、神の国は近づいた


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

 
1.「良い知らせ」から「福音」へ

 洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、神からの霊を注がれ、神の子であるとの認証を得たイエス様は、40日間荒野で悪魔から試練を受けながらもこれに打ち克ち、いよいよ本格的な活動に乗り出します。折しも、洗礼者ヨハネがガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに捕らわれたとの報が入りました。イエス様は、大胆にもユダの地からガリラヤに乗り込み、人々に教え始めました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。
 
「福音」という言葉は、原語のギリシャ語でエヴァンゲリオンευαγγελιονと言います。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、この語はもともとは「良い知らせ」という意味です。「良い知らせ」と言うと、私たちは、志望校に合格したとか、就職できたとか、恋愛が実って結婚できたとか、赤ちゃんが無事生まれたとか、そういう知らせを思い浮かべるでしょう。しかし、こうした良い知らせは「福音」とは普通言いません。「福音」とは、良い知らせの中でも特別なものを指すからです。何を指すのでしょうか?「福音」とはイエス・キリストについての「良い知らせ」です。イエス様が教えられたこと、行ったこと、また彼に起こったこと全て、彼が後世に遺したこと全てについての知らせなのであります。「ローマの信徒への手紙」の冒頭で、使徒パウロは自分のことを「神の福音のために選び出された」と言いますが、この「神の福音」こそ、神のみ子イエス・キリストについての「良い知らせ」であります。「知らせ」の中心人物も「知らせ」そのものも天地創造の神に由来するという「良い知らせ」なのであります。
 
そういうわけで、使徒たちが活躍する時代には、イエス・キリストについての「良い知らせ」は「福音」になっていました。やがて、イエス様の言行録を書物にまとめようとする動きが始まり、最終的に4つの書物が使徒の伝え教えたことに沿っているとみなされて正典として聖書の一部となりました。4つの書物は、「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」、「ヨハネによる福音書」と呼ばれていますが、このように「福音」は書物の題名をも意味するようになりました。ここで注意しなければならないのは、「福音」とはイエス様についての、彼が後世に遺したことについての「良い知らせ」ですので、新約聖書の中では4つの福音書以外にも「福音」は見出されます。使徒言行録も、使徒書簡も、黙示録も「福音」に満ちています。書物の題名につられて、「福音」は「福音書」の中だけと思わないように注意しましょう。
 
さて、イエス様がガリラヤの地で「悔い改めて、信じなさい」と人々に訴えられた時、その「信じる」ものは、私たちの日本語訳の聖書では「福音」となっていますが、イエス様は今活動開始したばかりで、十字架の死も死からの復活もまだ先の事です。これらのことが起こった後で、イエス様についての「良い知らせ」は「福音」になるのだから、この段階では「良い知らせ」と訳した方がいいのではないかと思います。(ちなみにフィンランドやスウェーデンのルター派国教会の聖書では、「良い知らせhyvä sanoma」、「知らせ/メッセージbudskapet」、英語NIVも「良い知らせ」good news。ドイツ語ルター訳(1545年)は意外にも「福音」das Evangeliumでした。)
 
それでは、イエス様が口にした「良い知らせ」とはどんな知らせだったのでしょうか?答えは、イザヤ書527節から5312節にあります。まず、その箇所の初めの部分(527節)を見てみましょう。
 
「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足(רגלי מבשר)は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え(טוב מבשר ) 救いを告げ あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。」
 
伝えるべき「良い知らせ」の内容ですが、この節だけをみると、「平和」、「救い」、それに「神が王になる」ことであります。「平和」ヘブライ語のシャロームשלוםは、とても意味が広く、「救い」を意味することもあります。それなので、ここで言う「良い知らせ」は、「救い」ということと、神を王に戴く神の国の到来ということの二点に絞って考えてよいと思います。それでは、この「救い」が何を意味し、神を王に戴く国とどう関係するかは、イザヤ書の続きの部分を見ていくと明らかになります。
 
まず、52812節で、神が廃墟と化したエルサレムに戻り、イスラエルの民に捕囚の地バビロニアから帰還せよと呼びかけます。神は、不可能と思われていたイスラエルの民の解放と帰還を可能にし、自分の力を諸国民に示します。つまり、良い知らせに言う「救い」とは、イスラエルの民が神の力でバビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰還し、神を王として戴く神の国が実現するということであります。
ところが、この次に来る5213節から5312節までの箇所は、有名な「主の僕」について述べつつ、「救い」の内容を少し違った形で展開していきます。それによると、主の僕は、目を背けたくなるほど惨めな姿をしているのだが、実は彼は私たちの痛みと病を背負ったのであり、私たちの罪と神への不従順がもたらす裁きをかわりに受けてくれた。それは、私たちが神との平和を得、彼の受けた傷によって癒されるためであった。5311節で、神は自らこう述べられます。「私の義なる僕は、多くの者が義なる者になれるようにした。彼らの罪を自ら背負うことによって。」つまり、ここで「救い」とは、神を王として戴く神の国のなかでは、神の僕の身代わりの犠牲によって罪と不従順からくる裁きが赦される、ということを意味するのであります。
 
このイザヤ書527節から5312節までの箇所で言われる「救い」は、イエス様誕生の500年以上前、バビロン捕囚がもうすぐ終わるという時代にあっては、イスラエルの民の捕囚からの解放とエルサレム帰還そのものを指すと考えられました。解放と帰還が実現すれば、それはただちに神が王として君臨する神の国の実現だったのです。その場合、身代わりの犠牲で人々を裁きから救う「主の僕」とは誰を指すかと考えられたかというと、それはバビロン捕囚で異国の地に連行されたユダヤ人の集団と考えられました。長い歴史の間にイスラエルの民が重ねた罪と不従順の罰としてバビロン捕囚が起きたのであり、捕囚の民が異国の地で辛酸を舐めるという罰を受けることで、イスラエルの全ての罪が赦され、また元に戻れるようになった、と考えられたのであります。
 
ところが、エルサレムに帰還した後も神の国は実現しませんでした。ということは「救い」も実現しませんでした。何が起きたかというと、確かにエルサレムの神殿と都市は再建された。しかし、バビロニア帝国支配が終わっても、イスラエルはペルシャ帝国、アレキサンダー帝国という大国支配の下に置かれ続け、ダビデ王の王国の復興などとは程遠いものでした。マカバイの反乱の時に独立を一時取り戻しますが、ほどなくしてローマ帝国の支配下に入ってしまいます。このように実態は、諸国民も恐れおののく神の国とは程遠い存在だったのです。さらに、イスラエル内部にも、神殿を拠点とするヤハヴェ神崇拝が果たして救いの実現なのかどうか疑問視する声も強く出てきました。このことは、マラキ書やイザヤ書の終わり5665章に垣間見ることが出来ます。次第に、神の国とは実は今の世が滅び去って天と地が新たに創造される時に出現するものと明らかにする預言もでてきました。イザヤ書の終わりやダニエル書にそれらが窺えます。(旧約聖書続編にあるトビト書などは、再建された神殿には寿命があって、その後に永遠に続く真の神殿が再建されるとさえ言っています。)そのようなわけで、イザヤ書527節から5312節までの預言を含め、バビロン捕囚後に実現すると考えられた多くの預言は、ことごとく未完だったことが明らかになりました。それでは、いつどうやってこれらの預言が実現することになるのか?まさにその時にイエス様が登場したのであります。イエス様が「信じなさい」と言われた「良い知らせ」とは、神がかつて約束した救いと神の国の到来についての知らせだったのです。それを「信じなさい」と言うのは、それらの実現が今始まった、神は約束を必ず守られる方なのだ、と告げることだったのです。神の御名は永遠にほめたたえられますように。
  
 
2.「時は満ち、神の国は近づいた」 - 預言成就の開始宣言 

 「時は満ちた」に言う「時」とは、ギリシャ語でカイロスκαιροςという言葉が使われています。これは、何か特別な事柄が起きる時、定められた時を意味し、単に時の流れを意味するクロノスχρονοςと区別されます。つまり、「時は満ちた」というのは、起きるべきことが起きる時がついに来た、機は熟した、ということであります。
 
「神の国は近づいた」をみてみましょう。マタイ32節によれば、洗礼者ヨハネも同じ言葉を使いました。ただし、イエス様とヨハネの言葉の間には決定的な違いがありました。イエス様が「神の国は近づいた」と言う時、彼は様々な奇跡を行い、難病や不治の病の癒し、悪霊退治、群衆の空腹を僅かな食糧で満たしたこと、自然の猛威を静めたこと等々を通して、神の国の実在性を示しました。ヨハネの場合、「神の国が近づいた」というのは、それがもうすぐイエス様と共に来る、ということですが、イエス様の場合は、自分と一緒にもう来ている、ということでした。
 
 続いてイエス様は「悔い改めて、良い知らせを信じなさい」と促します。「良い知らせ」とは、先ほど見た通り、救いと神の国の到来を実現するという神の約束を指します。つまり、救いの実現と神の国の到来についての神の約束を今こそ信じなさい、ということであります。この神の約束は、イエス様が全て実現されました。彼は、旧約聖書にある神の意志と預言の真理を人々に教え、間違って教える者を糾弾しました。奇跡の数々を行い、神の国の実在性を示しました。そして、十字架の死をもって、人間が負うべき罪と不従順の裁きと呪いを全部一身に引き受けて下さいました。さらに死から復活させられることで、永遠の命、復活の命への扉を開かれました。このようにイエス様において、神の約束が全て実現されたのであります。まさに、イエス様が「良い知らせ」を「福音」に大転換したのです。「時は満ち、神の国は近づいた」という言葉は、この大転換がいよいよ始まったという宣言だったのであります。
 
 ここで、ひとつ注意しなければならないことがあります。「良い知らせ」を信じる時、「悔い改める」という条件があるということです。イエス様は、「悔い改めて、良い知らせを信じなさい」と言われました。先週の主日の福音書の箇所は洗礼者ヨハネによるイエス様の受洗でした。私は説教で(横須賀教会)ヨハネの「悔い改めの洗礼」について教えました。人が自分の内部、心に岩盤のように横たわっている罪と神への不従順のあることを素直に認め、それからの救いを神からいただく「赦しの救い」として待ち望む、これが洗礼者ヨハネの言う「悔い改め」の意味だと申し上げた次第です。このような悔い改めがなければ、イエス様の十字架における身代わりの死の意味はみえてきません。信じるべき「良い知らせ」がどうして良いのかもわかりません。
  
 
3.「時は満ち、神の国は近づいた」 - 弟子たちの反応

 救いと神の国の到来についての神の約束が実現し始めたと宣されたイエス様は、弟子たちを召し出します。まず、ガリラヤ湖の4人の漁師たち、ペトロとアンドレ、続いてゼベダイの二人の息子ヤコブとヨハネが仕事を投げ出すようにしてイエス様につき従って行きます。こんなに簡単について行くのだから、きっと4人はイエス様に何かただならぬものがあると気づいたのでしょう。それにしてもこんなにあっさりと生業を放り出していくとは。ところがイエス様につき従った人が捨てたのは生業だけではありません。ヤコブとヨハネは、父親もそのまま残して立ち去ってしまいます。
 
 福音書には家族を捨てることについてのイエス様の教えがいくつかあります。イエス様のため、福音のため、神の国のために親兄弟を捨てたものは必ず報いを受けるとか(マタイ1929節、マルコ102930節、ルカ182930節)、イエス様より両親を愛する者は弟子としてふさわしくないとか(マタイ103738節、ルカ142527節は「憎まないなら弟子でありえない」)。イエス様は十戒の第四の戒め「父母を敬え」に反することを教えているのでしょうか?
 
 この問題に対して、ルターがどう言っているのかを見てみましょう。「イエス様の教えは、両親を捨てたり見下したりする理由にはならない。神の戒めの通り、両親は敬わなければならない。しかし、両親または公権力ましてや教会自体が神への従順を禁じる事態が起きた時は、そのような両親、公権力、教会に対する従順は呪われたものになる。私たちに両親とかお金とか食べ物を与えて下さったのは神なのだから、与えられたこれらのものが私の救いと幸いを妨げようとするなら、神のためにはこれらのものは失われてしかるべきだ。ただし、そのような状況にない場合は、神を否定することなく両親や家庭や財産を持つことができるのだから、神からみても何の問題もない」とルターは教えます。
 
ところで、ゼベダイの二人の息子の場合は、父と息子が何か信仰上の対立があってそれが高じて父親放棄になったとか全くわかりません。二人の行動は何か神がかっているというか、あまりにも唐突すぎます。物語作家のようにいろいろ想像をめぐらして、息子たちの父親に対する思いをつくりあげて父親放棄の過程をドラマ化することもできましよう。しかし、ここではキリスト教会の説教者としての立場上、聖書に書かれてあることのみに基づいていこうと思います。書かれていないことに立ち入って、個人の憶測や想像を聖書に注入するようなことは慎まなければなりません。
 
さて、4つの福音書や使徒言行録を見渡してみえてくるのは、イエス様が弟子たちを招いた時というのは、今まさに神の人間救済計画がイエス様を通して実現されだした、実現まで時間的余裕がないという緊迫した状況だったということです。弟子たちは、言わば、有無を言わせないくらい切迫したムードの中で急きょ動員されたのです。
 
 有無を言わせないような切迫したムードだったというのは、イエス様の人生の中でエピソードに満ちた大人の期間は意外と短かったということに気づけばわかります。それに気づけるために、イエス様の大人時代を次の4つの段階に区分けしてみましょう。まず、ヨルダン川での洗礼者ヨハネからの受洗と荒野での悪魔から受けた試練を第一段階とします。次に、洗礼者ヨハネの投獄後にイエス様はガリラヤに戻って人々に教え始め、奇跡の業を次々となす。このガリラヤとその近辺での活動の時期を第二段階としましょう。そして、ガリラヤを出発して群衆の先頭にたってエルサレムに向かう。この時にも人々を教え、奇跡の業をなす。これを第三段階としましょう。最後に、エルサレム入城とユダヤ教社会の宗教指導層との激しい応酬、投獄、拷問、裁判、十字架そして復活。これを第四段階としましょう。
 
 このようにイエス様の大人時代は4つの段階にわけることができるのですが、イエス様の受洗から十字架・復活までの期間は、本当はとても短い時間です。短く見積もる研究者は、だいたい1年ぐらいだろうとみています。ヨハネ福音書には、イエス様がガリラヤとエルサレムを何度か行ったり来たりしていることが述べられており、これに基づけば、大体3年くらいとみなされています。イエス様の地上での全生涯は大体30年位というのが定説ですので、4つの福音書の記述の大部分を占める大人時代の出来事は、実に生涯の最後の期間、1年から長くても3年位の期間に集中しているということができます。
  
 イエス様がこの地上での生涯の最後の時期に行ったことは、神の人間救済計画を実現することでした。先ほども申しましたように、イエス様が「神の国は近づいた」と言う時、それは彼自身と一体となって既に来ている、という意味でした。神の国がイエス様と一体となって来たというのは、彼の行った数々の奇跡にあらわされています。マルコ福音書3章で、イエス様が悪霊を退治した時、反対者たちから「あいつは悪霊の仲間だからそんなことができるのさ」と中傷を受けます。それに対してイエス様は、「悪霊が悪霊を退治したら彼らの国は内紛でとっくに自滅しているではないか」と反論し、自分が神の国と一体になっているからこそ悪魔が逃げていくのだと証します。このように、イエス様の数々の奇跡の業は、神の国が彼と共に到来したことの印、神の国の実在性を示す印なのであります。
 
ところが、神の国がイエス様と共に到来したといっても、人間はまだ神の国と何の関係もありません。最初の人間アダムとエヴァ以来の神への不従順と罪を受け継いできた人間は、まだ神の国に入ることはできません。人間は神聖なものとあまりにも対極なところにいる存在だからです。罪と不従順の汚れが消えなければ神聖な神の国に入ることはできません。いくら、難病や不治の病を治してもらっても、悪霊を追い出してもらっても、空腹を満たしてもらっても、自然の猛威から助けられても、人間はまだ神の国の外側にとどまっています。それを最終的に解決したのが、イエス様の十字架の死と死からの復活でした。本来私たち人間が受けるべき不従順と罪の裁きを、主が全部引き受けて十字架で死なれ、ご自分の血を代償として、私たちを罪と不従順の奴隷状態から買い戻して下さった。さらに死から復活されたことで、死を超えた永遠の命、復活の命に至る扉も開いて下さった。これらのことが、まさにこの私のために行われたのだとわかって、イエス様を救い主と信じて洗礼を受ける時、私たちは、神がイエス様を用いて完成された救いを所有する者となります。そうして、私たちは神から義なるものと見なされる存在となり、神聖な神の国の立派な一員として迎えられることとなったわけであります。
 
さて、このようにしてイエス様は、私たちが神の国に入れるようにと、十字架と復活の業を成し遂げられました。神の御心に忠実に従って人間救済の計画を実現されました。この地上での生涯の最後の13年ほどの短い期間にこんなにも大きなことを成し遂げられたのです。「悔い改めよ。神の国が近づいた」という言葉で始めて、最終的に人間がその神の国に入られるようにする道を整えられたのです。この大事業の完遂にあたって、イエス様は弟子たちを集められました。彼らの使命はイエス様と共にいてその教えと業をつぶさに見聞きすること、さらにイエス様から受けた教えと授かった力をもって宣教することでした(マルコ31315節)。弟子たちがイエス様と行動を共にしたことが、後に彼らの証言を生み出すことになり、そして彼らの命を賭けた証言を聞いて主を知らなかった人が信じるようになる、そういうことが連鎖反応的に起こって、その集大成として聖書の新約の部分ができあがったのであります。弟子たちの証言や聖書がなければ、誰も信仰をもてるはずがなく、従って主が門を開いた神の国にも入れません。こういうわけで、イエス様は神の人間救済計画そのものを実現しましたが、弟子たちは実現された救済が国と時代を超えて多くの人たちに及ぶようにする上で重要な役割を担ったのであります。
 
 イエス様が弟子を呼び出したというのは、そのような重要な役割を負わせるためだったことが明らかになりました。弟子への呼び出しは、まさに人類の歴史の大転換点である十字架と復活の出来事を目前にした時に行われたのでした。これが、弟子への呼び出しに有無を言わせない切迫したムードがあると言った意味です。徴税人マタイなど座っているところをイエス様に声かけられて有無も言わずに立ち上がって従って行きました(マタイ99節、マルコ214節、ルカ62728節では徴税人レビ)。何か途方もない力が働いて、人間が次々に吸い取られていくような雰囲気があります。福音書は、このように自動反応のごとくイエス様の後に従い始めた弟子たちの親子関係とか彼らの内面的葛藤とか一切触れていません。きっと実際に自動反応のようなことが起きたのでしょう。それで、その雰囲気をそのまま伝えたいために、余計な説明を付け足すことがなされなかったのでしょう。イエス様自身、このような自動反応を期待していたことが、信心深い百人隊長の信仰がそのようなものであることを知って感心したことに伺えます(ルカ7110節、マタイ8513節)。しかし、呼び出されて自動反応が起きない場合は、イエス様はとても手厳しい。ある人が死んだ父親を葬りに行ってもいいかと聞くと、「死んだも同然の者たちに死者を葬らせればよい」と答えます(ルカ95960節、マタイ82122節)。最初の人間アダムによる堕罪以来、神が決めていた人間救済計画がまさに実現しようという時、人間が神の国に入れるようになるという時を直前に控え、救済実現の目撃者、証言者となってその福音を宣べ伝える者に召し出されたら、その通りにするしかないというのがイエス様と神の御意志であったと言うことができます。

 
4.「時は満ち、神の国は近づいた」 - 私たちはどうすべきか

それでは、私たちも同じようにしなければならないのでしょうか?もし神様の召し出しを受けたら、私たちも自動反応してゲームのコマのように駆り出されなければならないのでしょうか?それが私たちにとってのイエス様の後をつき従うことなのでしょうか?
 
ここで注意しなければならないのは、私たちに関して言えば、神の人間救済計画は既に実現しているということです。救済実現の直接の目撃者、証言者となってその福音を宣べ伝え聖書を作り出すという役割は既に使徒たちが果たしてくれました。私たちは洗礼を通してイエス様の弟子になりますが、それは実現された救済を受け取るという立場であり、受け取ったものを聖書に基づいてしっかり守りつつ、できるだけ多くの人がこの救済に与れるような働きをするという役割があります。それで、救済が実現する時に大きな役割をもたされた弟子たちと立場が少々異なっています。その意味で、弟子たちが受けたのと同じような自動反応をもたらすような召し出しは、もうないのではないかと思います。そうは言っても、両親とか家族とか財産とかを、信仰を理由に捨て去る必要はなくなったかというと、そうではありません。先にルターの教えを引用しましたように、それらが信仰を捨て去るように作用して絶対に止めないという時は、捨てなければならないということであります。そうでない限りは、両親や家族を世話し仕えることは神の掟であります。
  
 
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン