説教者 吉村博明 (フィンランドルーテル福音協会宣教師、神学博士)
主日礼拝説教 2013年1月20日顕現節第三主日
日本福音ルーテル横須賀教会にて
エレミア書1:4-8、
コリントの信徒への第一の手紙12:1-11、
ルカによる福音書4:16-32
説教題 「肉眼ではない信仰の目を通してイエス様を見る」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン
私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
1.
先週の福音書の箇所はルカ3章でした。私たちは、イエス様がヨルダン川にて洗礼者ヨハネから洗礼を受け、神からの聖霊が彼に降って特別な力が備えられたことをみました。特別な力とは、神の人間救済計画を実現するための力です。それは、罪と不従順の奴隷状態にあって死の力の支配下にある人間をそこから解放するために、自らを犠牲の身代金として人間を神のもとに買い戻す、つまり人間を罪と死の奴隷状態から贖うという計画でした。洗礼のすぐ後で、イエス様はユダの荒野で40日間にわたって悪魔から誘惑の試練を受けますが、どれも神の御言葉を盾としてはねのけました。神の御言葉には悪魔を退かせる力があること、そして御言葉を真理であると信じる者には悪魔は手の出しようがないということを示す出来事です。この荒野の試練の出来事の後に、本日の福音書の箇所の出来事が来ます。荒野の試練の後でイエス様は、ユダの地からガリラヤの地に移ります。ガリラヤ各地のシナゴーグ、ユダヤ教の教会堂を回って、そこで神の国が近づいたということ、救いがまもなく実現するという福音を人々に伝え始めます。そして神の国が架空のものではないことを示すために数々の奇跡の業を行いました。イエス様の評判はガリラヤ全土に広まりました。イエス様が赤子の時から長年育った故郷の町ナザレに入ったのはちょうどそのような時でした。
イエス様のナザレ来訪の目的は、生まれ育った故郷に帰ってのんびり休暇を過ごすということではありません。これまでガリラヤ各地で行ってきたのと全く同じ宣教をするためでした。しかし、顔見知りが多くいる故郷の町では、他の町々と勝手が違いました。どう勝手が違ったか、なぜそのようなことになったか、ということが本日の福音書の箇所の主題と言えます。
イエス様は、これまでそうしてきたように、まず町のシナゴーグに入ります。安息日の礼拝で人々に教えるためです。私たちの用いる新共同訳では何気なく「いつものとおり」とありますが、ギリシャ語の意味はもう少し深くて「彼にとって習慣であった」ということです。イエス様が宣教活動を始める前にも安息日にはきちんと欠かさずシナゴーグに通っていたことが窺われます。
ところで、当時の礼拝の仕方ですが、ヘブライ語で書かれた旧約聖書の朗読の後、アラム語で解き明かしする説教が行われていました。なぜ二つの言語が出てくるかというと、イスラエルの民はもともとヘブライ語で話したり書いたりしていました。神の言葉も当然もともとはヘブライ語で記されました。ところが紀元前6世紀におきたバビロン捕囚でイスラエルの民は異国の地バビロンに連行されます。捕囚は50年近く続き、これは二、三世代に渡るので、イスラエルの民はその言語がだんだん異国の言語であるアラム語に同化していきます。日本で明治時代からアイヌ民族の同化政策が行われると二、三世代後にはアイヌ語使用者がどんどん失われるという悲劇が起きました。他方、朝鮮半島では日本の支配は35年でしたが、支配側の同化政策にもかかわらず半島の人たちは自分たちの言語をしっかり維持したのは驚嘆に値するのではないでしょうか。
話が脇に逸れましたが、捕囚のイスラエルの民は、バビロン帝国を滅ぼして中近東の新しい覇者となったペルシャ帝国の王の計らいでエルサレム帰還が認められます。帰還した民は廃墟となったエルサレムの町と神殿の復興事業にとりかかります。当時の民の苦難と信仰の戦いの出来事については、エズラ記とネヘミア記に記されています。ネヘミア記8章を繙くと、民の指導者が民に向かってモーセの律法を朗読する箇所があります。そこに、朗読者が「律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げた」とあります(8節)。つまり、ヘブライ語の聖書を朗読しアラム語に翻訳して解説したということであります。こうしてヘブライ語の聖書を神聖な最高権威の書として朗読してから、民が理解できるアラム語に訳したり解説したりすることが始まります。この形の礼拝が、イエス様の時代のシナゴーグの礼拝の時にも続いていたということであります。
さて、シナゴーグの会堂長は、その日の神の御言葉の朗読と解き明しの説教をする人を、今やガリラヤ全土に名声を博している御当地出身のイエスに依頼しました。会堂は参会者で一杯です。イエス様に神の御言葉が記された巻物が手渡されます。巻物というのは、同じ大きさの紙を重ねて閉じるという方式で作った本ではなく、動物の皮をつなぎ合わせてそこに文字を記して巻物にした形の書物です。皆様も耳にしたことのある死海文書というのもこういう形の書物です。イエス様は立って、イザヤ書61章の最初の部分を朗読しました。そこは、神に油注がれた者、つまりメシアが神の霊を受けて、捕らわれ人に解放を、心を打ち砕かれた人に心の癒しを、目の見えない人に目が見えるようになる、という喜びの知らせを伝える、そして主なる神の恵みの年、恵みの時が到来したことを告げ知らせる、という内容です。このルカ福音書に引用されているイザヤ61章は、旧約聖書にあるイザヤ書の同じ章の文と少し違います。新共同訳にあるイザヤ書はヘブライ語の聖書を和訳したものです。どうしてヘブライ語聖書のイザヤ書とイエス様が引用したイザヤ書に違いがあるかというと、これは、イエス様が読み間違えたのでも、また福音書を書いたルカが間違えたのでもありません。ルカ福音書にあるイザヤ書の引用ですが、これはギリシャ語版の旧約聖書からのものなのです。ヘブライ語で書かれた神の御言葉は、紀元前3、2世紀頃に大々的にギリシャ語に翻訳されます。当時の地中海世界にはヘブライ語やアラム語ができないギリシャ語を主要言語とするユダヤ人が大勢いたのです。イエス様は、間違いなくヘブライ語の聖書を朗読し、その後でアラム語で解き明しの説教をしたでしょう。その出来事を文章にしたルカはギリシャ語で書いています。ルカは手元にヘブライ語の旧約聖書がなかったのか、またはギリシャ語の方が出来るのでギリシャ語の訳を参照したということなのでしょう。そういうわけで、私たちも、新約聖書を読むとき、そこに旧約聖書の引用があって、少し違っているというのを見つけた時は、福音書記者や使徒たちが間違えたとか、すぐに安易に決めつけないようにしましょう。
朗読した後、イエス様は巻物を係の者に返して、席につきます。席というのは、説教者の座る所ですので、会堂の人たちの視線が一気にイエス様に注がれます。とても緊迫感のある場面です。イエス様が口を開きます。「今日、この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたとき(ないしは、あなたがたが耳にした如くに、聞いた通りにεν τοις ωσιν υμων)、実現した。」この言葉の後でイエス様は解き明しをしていきますが、それについてはルカ福音書では記述されていません。22節に、参会者の「みんなは、その口からでる恵み深い言葉(複数形)に驚いた」とあり、解き明しを続けたのは間違いありません。内容的には、間違いなく、神の国が近づいたこと、救いがまもなく実現すること、そのために悔い改め、つまり各自神のもとに立ち返るよう促すことが中心だったでしょう。いずれにしても、イザヤの言葉が実現した、と冒頭で宣言した時、この油注がれたメシア、神の霊を受けて、解放や目の開眼や癒しや神の恵みの時の到来を告げ知らせるのはこの自分である、と証したのであります。(ところで、「主の恵みの年」という言葉についてですが、これとレビ記25章にある「ヨベルの年」との関係をみることは興味深いテーマですが、時間の都合上、本説教では取り上げないこととします。)
2.
ところが、ここで状況が一変する出来事が起きます。聴衆は、イエス様の口から出る恵み深い言葉を驚きを持って聴いている。同時に、彼らは、あの男は一体何者だったっけ、というようなことも気にし出す(μαρτυρεω「証する」という動詞は、与格の目的語を伴うと、肯定的にも否定的にもその者について証する意味があります)。というのは、説教者が御当地でよく見慣れた顔だったからです。そこで誰かが「あいつは、大工のヨセフの息子じゃないか!」と叫び、他の者も一同に「あっ、そう言えば確かにそうだった」と同調していきます。この時点まで、人々は、神の人間救済計画の実現が近づいた、この方はその実現の担い手なのだ、ということがすぐそこまで本当だと信じられるところまで来ていました。ところが、それが突然消えうせて、目の前にいるのは、みんなも知っている近所の若造にすぎなかった、ということになったのです。つまり、これまでは、聴衆の目の前で語るイエス様は肉眼に映る像を超えた存在でした。それが、突然、肉眼に映る像に戻っていまい、それ以上の何ものでもなくなってしまったのです。もう少しで肉眼の目ではない心の目、信仰の目が持てるところまでいっていたのに、肉眼の目に戻ってしまった。その目で得られる像が真実だと思うようになってしまったのです。
信仰の目とはどういう目かというと、神が人間を罪と死の奴隷状態から救い出そうという御心意思を持っていることを見ることができる目であり、神は救いを実現するために御自分の独り子をこの世に送られたという真理を見ることのできる目であります。この真理は肉眼では見えません。肉眼では、目の前にいる男は単なる大工の息子にしか見えません。信仰の目を通して見るイエス様は、まさに天と地と人間を造られた神が提示するイエス像であります。それは、人間が限界ある知識を駆使して、ああだ、こうだと言って造り上げたイエス像ではなく、神の計り知れない知恵に助けられて知ることのできるイエス像であります。
イエス様は、信仰の目から肉眼の目に戻ってしまった聴衆の変化に気づきました。こうなってしまったら、ナザレの人たちは奇跡でも行わない限り信じないということもわかりました。イエス様は、ナザレの人たちが自分に向かって「医者よ、自分を治してみろ」と言いたくて仕方がないと見破ります。「医者よ、自分を治してみろ」というのは、そうしたらお前が良い医者であると信じてやろう、ということであります。これに加えてナザレの人たちはイエス様に向かって、カファルナウムで行ったのと同じ奇跡を故郷の町でもやってみろ、そうしたら信じてやろう、そう言いたくて仕方がないと見破ります。
しかしながら、イエス様は、ナザレの人たちには奇跡を行うことはしませんでした(マルコ6章5節、マタイ13章58節も参照)。そのかわりに、旧約聖書の記述をもってそれを彼らの真の姿を映し出す鏡のように用いて、彼らがどういう人間であるかを示しました。旧約聖書の記述とは、一つは列王記上17章にある預言者エリアが大飢饉の時にシドンのサレプタのやもめを餓死から救ったという出来事、もう一つは列王記下5章にある預言者エリシャがアラムの王の軍司令官ナアマンのらい病を完治した出来事についてです。サレプタのやもめもナアマンもイスラエルの民に属さない異教徒の民でした。当時のイスラエル北王国は神の道に背く道を歩んでいました。神は、御自分の預言者を自分の民のもとには送らず、異教徒に属する者に送り、彼らを助けたのでした。イエス様は、ナザレに奇跡を行う預言者が送られないのはこれと全く同じであると言うのであります。つまり、ナザレの人たちは、かつて不信仰に陥っていたイスラエル北王国と同じ立場にある、というのです。これを聞いた聴衆は激怒します。怒り狂ったと言ってもいいでしょう。イエス様をシナゴーグから追い出し、そのまま山の上まで追いやってそこの崖から突き落とそうとします。しかし、不思議なことにイエス様は群衆をすり抜けて行き、難を逃れます。普通なら群衆の押し出す力で人ひとり崖から突き落とすのはたやすいことだったでしょう。どうやって群衆の力をかわせたのか、詳細については何も記されていません。これも奇跡の業だったと考えられます。イエス様は、十字架と復活の出来事のためにこの世に送られた以上、それが実現するまではどんなに絶体絶命の危険が起きても、ゴルガタの時までは神はイエス様が滅びるようなことは一切認めなかったのであります。
3.
ところで、イエス様はなぜナザレの人たちが御自分に対して攻撃的になるようなことを言ったのでしょうか?肉眼の目に戻ってしまった人たちを信仰の目に戻すことは考えなかったのでしょうか?先ほども触れましたように、ナザレの人たちがイエス様をメシア、救い主と信じるようになるためには、もはや奇跡を見せないと効き目がない、ということをイエス様はわかっていました。もちろん、奇跡を目撃したり体験したりすることを出発点として信仰に入ることも可能です(ヨハネ14章11節)。しかし、そこには、ただ超自然的な力が原因となって神を畏れるというだけにとどまってしまう危険があります。本当の信仰とは、たとえ肉眼で見なくとも、神が人間救済の意思と計画を持ち、それを独り子イエス様を用いて実現したということが真理であると信じることであります。ちょうどイエス様が不信心のトマスに対して「見ないのに信じる人は幸いである」と言われた通りです(ヨハネ20章29節)。奇跡を目撃したり体験したりして信仰に入るというのは、結局のところ、肉眼に頼る信仰で、必ずしも信仰の目を持ってする信仰にはならないのです。イエス様がナザレの人たちに対して肉眼に頼る信仰を認めなかったということは、ある意味で彼らに、信仰の目をもってする信仰に導く道を開いたということでもあります。しかしながら、彼らの反応は残念なことに、メシア救世主を殺害するという、それ自体実現不可能、考え方としては自暴自虐そのものと言える行為に走りました。イエス様を殺害して十字架と復活の出来事を起こさせないようにするというのは、神の人間救済計画の実現を妨害するということですから。
ナザレの人たちは、肉眼に頼る信仰の道を絶たれた時、なぜ信仰の目をもってする信仰の道を目指すことを考えなかったのでしょうか?この大きな原因は、彼らが自分たちは罪と不従順に陥っているということを認められなかった、ないしは認めたくなかったからです。イエス様は、彼らがエリヤとエリシャの時代のイスラエル北王国の罪の状態と同じであると明確に指摘しました。しかし、ナザレの人たちは、それで謙虚に立ち止まって自分たちの生き方を神の意思に照らし合わせて自省することをしませんでした。全く正反対に、自分たちは、かつて神の罰として滅亡した王国と同列視されるような罪は何も犯していない、といきり立ってしまったのです。
このことからも明らかなように、信仰の目をもってする信仰、信仰の目をもってイエス様を見ることができるためには、自分が生まれながらに神に対する不従順と神の意思に反する罪をたくさん持っているということと、そのような罪を思いと行いと言葉によって犯してきたということを認めることができるかどうかにかかってくると思います。人によっては、具体的にどんな罪を犯したか心当たりがないという人もいるかもしれません。しかし、人間は最初の人間アダムとエヴァが神に対して不従順に陥り罪を犯したために死ぬ存在となってしまいました。それで、人間が死ぬということ自体が人間の罪性、不従順性を現しているのであります。人間を造られた神は、人間がこの世から死んだ後、永遠に造り主である自分の元にもどれるようにと、またこの世の人生の段階ではそのような永遠の命に至る道を歩めるようにと、さらに歩む際には順境にあっても逆境にあっても造り主の守りを得て歩めるようにと、そのために独り子イエス様をこの世に送られ、彼に人間の罪と不従順がもたらす罰を全て身代わりに受けさせました。人間は、イエス様のこの身代わりの罰受けが本当に自分のためになされたとわかって、イエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、その瞬間、イエス様の身代わりの罰受けはその人に本当に起きたことになるのです。この時、その人の信仰には信仰の目が伴っています。神の意思と計画が真理であるとわかるために、奇跡や超自然的な力に頼る必要が全くありません。また、人間が限界ある知識をもって構築したイエス像をみることがあっても、それは使徒信条や二ケア信条のようなキリスト教の信仰告白で私たちが告白するイエス・キリストと全く異なるものであるとすぐわかります。信仰の目をもって見るイエス様は、信仰告白のイエス・キリスト像の中に凝縮されています。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように アーメン