2020年2月24日月曜日

イエス様がモーセとエリアに会する時、我らの軛を軽いものに替えて下さる (吉村博明)

説教者 吉村博明 (フィンランド・ルーテル福音協会宣教師、神学博士)

主日礼拝説教 2020年2月23日変容主日 スオミ教会

出エジプト記34章29-35節
ペトロの第二の手紙1章16-19節
マタイによる福音書17章1-9節

説教題 「イエス様がモーセとエリアに会する時、我らの軛を軽いものに替えて下さる」

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。                                                                            アーメン

 私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.      はじめに

 本日は、教会のカレンダーでは先月始まった顕現節が終わって、来週からイースターに向かう四旬節/受難節が始まる前の節目にあたります。福音書の箇所はイエス様が山の上で姿が変わるという出来事についてです。同じ出来事は、先ほど読んで頂いたマタイ17章の他に、マルコ9章とルカ9章にも記されています。マタイ172節とマルコ92節では、イエス様の姿が変わったことが「変容した(μετεμορφωθη、受け身なので正確には「変容させられた」)」という言葉で言い表されているので、この出来事を覚える本日は変容主日とも呼ばれます。毎年、四旬節/受難節の前の主日はこの変容主日になります。

 イエス様が三人の弟子を連れて登った「高い山」とは、ほぼ間違いなく、フィリポ・カイサリアの町から30キロメートルほど北にそびえるヘルモン山でしょう。標高は2814メートルで、ちょうど北アルプスの五竜岳と同じ高さです。ロープウェイもケーブルカーもバスもなくいきなり麓から北アルプス級の山に登るのはとてもしんどいことです。やっとこさの思いで頂上にたどり着くと、イエス様が白く眩しく輝きだし、旧約の偉大な預言者であるモーセとエリアが現れる。ペトロが三人のために「仮小屋」を立てましょうと言っている最中に辺りは雲に覆われ、その中から天地創造の神の声が轟きわたる。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(5節)。その後で雲は消え去り、モーセとエリアの姿もなくなり、イエス様だけが立っておられた。神が「これに聞け」と命じたのはイエス様であることが明らかになりました。

以上がマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書に記されている出来事の大筋です。細部はそれぞれ少し異なっていますが、このようなことが起こったという点ではみんな一致しています。この山の上での出来事の後、イエス様は弟子たちと共にエルサレムに向かってただただ南下していきます。十字架の受難が待ち受けているエルサレムにひたすら向かって行くのです。

本日の説教は、マタイの記述を中心に解き明かしをしていきます。その際、3つの問題点をあげて、それに答える形で解き明かしをしたく思います。まず初めに、イエス様が白く輝いたこととモーセとエリアが出現したことは一体何なのか?次に、ペトロが3人のために仮小屋を建てると言ったことは何なのか?それに対して神が打ち消すように「これは私の愛する子、これに聞け」と言ったのは何だったのか?そして三つ目は、なぜイエス様はこの出来事を彼の復活が起きるまで誰にも話してはいけないと言ったのか?

聖書の中で今日のような個所は特に難しく感じられないかもしれません。ただ書いてある通りに、ああ、イエス様は山の上で輝いたんだな、そこにモーセとエリアが現れたんだな、ペトロが仮小屋3つ建てると言ったら神がイエスに聞き従えと言ったんだな、という具合に受け取れば、書かれた事柄は頭に入ります。しかし、そのような受け取り方では神の私たち人間に対する思いは何もわかりません。神の私たちに対する思いや私たちに求めていることを明らかにしなければなりません。それが説教の役割というものです。

2.      イエス様が白く輝いたこととモーセとエリアの出現

 まずイエス様が白く輝いたこととモーセとエリアの出現は何だったのかということを見ていきます。イエス様の顔が太陽のように輝き出して、着ているものも白く光り出しました。そこで黙示録116節を見ると、それを書いたヨハネは天の父なる神のもとにいるイエス様を目撃します。その顔は日中の輝く太陽のようであったと言います。私たちは太陽を目で見ることはできません。ほんの瞬きする間くらいしか見れません。その時、太陽は何色に見えたでしょうか?赤でもオレンジ色でもなく白です。白ですが、輝きが強烈すぎて見ることのできない白です。イエス様の顔も着ているものも白く輝いたというのは、ヨハネが目撃した、天のみ神のもとにいるイエス様と同じです。つまり、山の上でイエス様は神としての本性を現わしたのです。ルカ福音書の同じ出来事の記述を見ると、モーセとエリアも輝いていたと言われていますが、文章をよく見るとそれは天の輝きを映し出した輝きで自分たちが発する輝きではありませんでした(931節)。イエス様の場合は、自分自身から発する輝きでした。

神の本性を現わしたイエス様にモーセとエリアが現れました。かたや紀元前1300年代の人物、かたや紀元前800年代の人物です。とっくの前にこの世を去った人物です。それでは、これは幽霊でしょうか?でも、幽霊だったら、ペトロたちはきっと恐怖に慄いたでしょう。というのは、イエス様が死から復活して弟子たちの前に現れた時、弟子たちは幽霊だと思って恐怖に陥ったことが記録されているからです(ルカ243643章)。しかし、この山の上では恐怖に陥っていません。これはどういうことか?

当時、律法学者を中心にユダヤ民族の間では、エリアがいつか再臨するということが信じられていました(マタイ171011節、マルコ91112節を参照)。この世の終わりが近づくと、天からエリアが再臨して神の裁きの準備をするというのです。つまり、エリアは天の神のもとにいて待機しているわけです。でも、これは少しおかしなことです。というのは、聖書には死者の復活ということが言われていて、それによるとこの世が終わる時に最後の審判があって、死んだ者と生きた者が一緒に裁かれる、そこで神の目によしとされる者は復活の体と永遠の命を与えられて神の国に迎え入れられる。そうなると、審判の日まではこの世を去った者は神のみぞ知る場所にいて眠りについていることになる。眠りから目覚めさせられるのが復活の日ということになる。これが聖書の立場です。そうなると天国に行く行かないということは、この世の終わりまで待たなければならないということになる。それなのに、モーセとエリアが天から来たということは、この世の終わりを待たずに天国に入った者があるということになります。

少なくともエリアに関しては、その点は大丈夫と言えます。というのは、列王記下2章にあるように、エリアは生きたまま神のもとに引き上げられたからでした。それでエリアは既に天の神のもとにいて、世の終わりの時に再臨すると信じられていたのです。このように聖書は、将来の終末や復活の日を待たずにして既に天に迎え入れられた者があるということを考慮に入れていると言えます。ただ、それが具体的に誰かは名前は記されていません。モーセの場合は少しやっかいです。申命記34章を見ると、彼はモアブの地で死んだとあります。しかし、神自身が彼を葬ったので誰も彼の埋葬地を知らないとあります。そうなれば、モーセも一度死んだが将来の復活の日を待たずに神の許に引き上げられたと考えることも可能です。

そうなるとヘルモン山の上での出来事は、モーセとエリアが天の神の許から送られて、イエス様と共に一堂に会しているということになります。神としての本性を現わした神のひとり子イエス様、それと死を超えた永遠の命を持つ者としてモーセとエリアが一堂に会しているわけです。さらに、モーセはと言えば神から十戒を初めとする掟を受け取ってそれを人間に仲介した人です。エリアはと言うと、その掟はイスラエルの民が諸国民を代表して受け取ったのであるが、その肝心の民が神に離反するようになってしまい、その時エリアは民が神の許に立ち返るように孤軍奮闘しました。かたや神の意思を人間に伝えた者、かたや神の意思からの逸脱を阻止しようとした者です。そしてそこに神としての本性を現わしたイエス様がおられる。そのように見ていくと、この3人が一堂に会したことの意味が少し見えてきます。それをこれから少しずつ明らかにしていきます。

3.3つの仮小屋と神の戒め

 次に、ペトロが3人のために仮小屋を建てると言ったことは何なのかということを見ていきます。そして、ペトロの提案に対して神が打ち消すように「これは私の愛する子、これに聞け」と言ったのは何だったのかということも。

 ペトロが仮小屋を建てると言ったのには背景があります。本日の旧約の個所、申命記24章でモーセがシナイ山に登ったことが記されています。山の上で神は十戒に続く掟、特に神殿崇拝に関する掟を与えます。十戒は、神と人間の関係について神が人間に求めていることと人間同士の関係で神が求めていることを言い表わす掟集です。それに続いて神は、イスラエルの民が今後神をどのように崇拝すべきかという礼拝の仕方についての掟集を与えました。そこで最初に出てくる掟が幕屋の建設でした。後にエルサレムに巨大な神殿が建てられますが、その前の段階の礼拝場所についての規定です。この幕屋建設についての掟は、本日の旧約の個所のすぐ後に続いてきます。

ここで、ペトロがイエス様とモーセとエリアのために「仮小屋」を建てると言った「仮小屋」ですが、それはギリシャ語のスケーネー(σκηνη)といい、その言葉の正確な訳は、神に礼拝を捧げる場所である「幕屋」を意味します。このようにペトロの提案は、モーセのシナイ山での出来事を背景として見ると理解できます。旧約の伝統に立てば、ヘルモン山で起きたような出来事に遭遇すれば、誰でもシナイ山での出来事を想起して「幕屋」ないし仮小屋を立てなければいけないという反応が起きるでしょう。

しかしながら、その提案は場違いなものでした。というのは、ペトロはイエス様だけでなくモーセとエリアのためにも礼拝を捧げる場所を建てると言ったからです。シナイ山で与えられた幕屋建設の規定は、天地創造の神を崇拝するための幕屋でした。人間を崇拝するためのものではありませんでした。ヘルモン山での神の声「これは私の愛する子、これに聞け」というのは、神のひとり子のイエス様が崇拝の対象であるということです。そのためにイエス様は神の本性を現わしたのでした。モーセとエリアは、いくら天の父なる神の許にいる存在とは言え、崇拝の対象にはならないことが明らかになりました。

モーセは神の人間に対する意思が詰まった律法を人間に仲介したという役割を担った人、エリアは律法からの逸脱を阻止する役割を担った人です。この二人を超えるイエス様は、どんな役割を担ったのでしょうか?次にそのことを明らかにしてみましょう。

4.イエス様のかん口令

ここで、イエス様はなぜヘルモン山での出来事を彼が死から復活するまでは話していけないと命じたのかを考えて見ます。

この個所に限らず、イエス様は奇跡の業を行う時、これを口外してはならないとかん口令をよく敷きます。これについて、ウイリアム・ヴレーデWilliam Wredeという聖書学者が1913年に出した「福音書におけるメシアの秘密Das Messiasgeheimnis in den Evangelien」という研究書の中で次のような見解を述べました。マルコ福音書の著者は、イエスがメシアであるということは復活が起きた時に人々の目に明らかになるように福音書を構成した。だから、十字架の出来事の前にイエスが奇跡を行ってメシアであることを示しながらも、復活までは人々に気づかれてはならない、復活をもってメシアであることが白日の下に晒されるようにする、それで福音書の著者はイエスにかん口令を敷かせたのだ。そういう分析をヴレーデはしたわけです。

ヴレーデの研究書はその後の世界の聖書学に大きな影響を与えました。「メシアの秘密」というテーマは今でも聖書学で議論されます。マルコはこうした「メシアの秘密」という観点をもって福音書を書いたのか、それとも別の観点で書いたのか、という具合にです。もちろん、ヴレーデの見解に組しない見解も多くあります(私もその一人です)。しかしながら、彼がその後の聖書学に与えた影響は、現在まで続く賛否両論を引き起こしたということだけに留まりません。福音書は歴史を記述したものではなくて、著者の創作物語であるという見方を強めてしまったのです。大学の神学部を出ても、奇跡などない復活などないと言う人が出るようになったのも、聖書学がそういうものになったことに原因があると言えます。

聖書がどのようにして出来たか、書かれたのかということを歴史学のやり方で分析すると、奇跡も復活も入り込む余地はなくなります。歴史学は学術研究ですので、超自然的な現象を歴史的事実として記述しません。そういうものは現実には起こり得ないということを前提にして全ての歴史は記述されます。それじゃ、奇跡や復活は歴史に記述されなければ、なかったことになるのか?「ない」と言う人は、信仰がなくなります。人によっては「ない」と言っても信仰を持っていると言う人もいるかもしれませんが、それは使徒の伝承や教えに基づく信仰、使徒的な信仰ではありません。超自然的現象がないと言ったら、奇跡や復活だけでなく、創造主の神も天国も地獄もなくなります。使徒的な信仰に立つ人は奇跡や復活について次のように言うのではないかと思います。「奇跡や復活というのはその性質上、歴史学の歴史には入りきれないかもしれない。しかし、それは、歴史学がそういうものは現実には起こり得ないということを大前提にしているからである。それで歴史学が構成する歴史は狭まれたものになる。しかし、その大前提は絶対とは言えないのだ。だから、歴史学が構成する歴史をはみ出す歴史にも心を向けるのである。」

話が脇道にそれました。ヘルモン山での変容についてのイエス様のかん口令に戻ります。死から復活するまでは口外してはならない、というのは、復活の後に人々に知らせたら意味のあるものになる、その前に知らせても無意味だということです。復活には、それに先立つ十字架の死があります。従って、十字架と復活はワンセットで考えなければなりません。それなので、十字架の死と死からの復活が起きる前に、ヘルモン山での出来事を人々に知らせても意味がない、意味があるのはそれらが起きた後である、ということです。どうしてそうなるのでしょうか?

イエス様が神の力で死から復活させられたことで、彼が神のひとり子であることが明らかになりました。それならなぜ神のひとり子が十字架にかけられて死ななければならなかったのか?これも、旧約のイザヤ書53章の預言にありました。人間の罪を身代わりになって神に対して償って人間と神との間に平和を打ち立てて、人間が霊的に癒されるようにするためと書いてあります。それがイエス様の十字架の意味でした。このことがわかって、イエス様を自分の救い主であると信じるようになった者は、まさに信じることで罪を償ってもらった者になり、神から罪を赦された者として扱われるようになります。さらにイエス様の復活によって、死を超えた永遠の命があることが示されました。イエス様を救い主と信じる者は永遠の命に向かう道に置かれてその道を進んでいくことになります。

神のひとり子の犠牲のおかげで神から罪を赦された者として扱ってもらえる。そうなると、もういい加減な生き方は出来ません。いい加減なところがあれば、それをどんどん削り取って、神に扱われている状態に自分をかたどっていかなければなりません。その時、十戒を中心とする神の律法は心も体も含め全身で守らなければならないものになっています。そこからの逸脱は許されません。まさに律法の大立者であるモーセとエリアが私たちの前に立っています。しかし、ここで思い出さなければならないことがあります。それは、律法に全身を従わせるというのは、キリスト信仰者にとっては、自分の力で行うものではないということです。イエス様は律法を全て実現されている方です。そのイエス様に洗礼を通して結びつけられたのです。イエス様が律法を全て実現されている状態の方というのは、まさに山の上での変容に現れた眩しすぎる光がそれを示しています。そこで、この光を鏡のように受けて反射させる、これがキリスト信仰者にとっての全身を律法に従わせるということです。信仰者は自分の力で従わせる必要はありません。イエス様から来る光を受けてそれを反射させるだけで十分なのです。自分から光を発する必要などありません。その意味でイエス様は律法の軛を軽くして下さったのです。モーセとエリアが退場したあとでイエス様だけが残っていたことがそれを示しています。

しかしながら、注意しなければならないことがあります。イエス様は軛を負いやすくするとはおっしゃいましたが(マタイ112930節)、それをなくするとは言ってません。どういうことかと言うと、神を全身全霊で愛そうとします。喜びも悲しみもこの神だけに打ち明ける。願い事も赦しもこの神だけにお願いする。手を合わせ拝むのはこの神だけである。そういうことをすると、違うものに手を合わせる人たちから総スカンを食らうことになります。また、隣人を自分を愛するが如く愛そうとします。そうすると、自分だけが損をしている、こんなお人好しでいいのだろうか、ということが沢山起きてきます。しかし、総スカンを食らうことも損をすることも、イエス様抜きで律法を全部自分の力で全うしようとすることに比べたら、全然軽い軛なはずです。

軽い軛でも時には重く感じられて、地面にうつ伏してしまうこともあるでしょう。その時は山の上のイエス様がどうしたかを思い出しましょう。彼はすぐ弟子たちのところに行って手で揺り動かして、「起きなさい、恐れることはない」と言って励まして下さいました。この出来事は、キリスト信仰者にはイエス様の励ましはいつも隣り合わせにあるということを示しています。

5.目撃者と同じ立場に立つ

以上見てきたように、ヘルモン山での出来事は、律法の要求を満たすということが十字架と復活の出来事が起きる前と後で意味が違うということを示しています。十字架と復活の前は全部自分の力でしなければなりませんでした。その後はイエス様が放つ光を受けて反射させればいいというふうになりました。それなので山の上の出来事は、十字架と復活の後にイエス様を救い主と信じる者にとって意味をなしたのでした。

本日の使徒書の日課である第二ペトロ1章でペトロが、自分たちは人為的に作った物語に基づいてイエス様のことを教えているのではない、目撃者として教えているのだと言っています。十字架と復活の後でも、いくら目撃者です、と言っても信じてもらえなかった様子がうかがえます。十字架と復活の前だったらなおさらでしょう。実はこの手紙はペトロの名が冠されているにもかかわらず、聖書学の学会では作者はペトロ本人ではないという見解が強いようです。それならば誰が作者か?ペトロの弟子だろうと言われています。仮にそうだとすると、「私たちは目撃者である」、「私たちは山の上で神の声を聞いた」と言う時の「私たち」はまさに直の目撃者のペトロの証言を聞いて、それを信じて自分たちも目撃者と同じ立場に立つと見る人たちです。彼らは、まずイエス様の十字架と復活の証言を聞いてイエス様を救い主と信じました。その上で、山の上の出来事を聞いてますます確信を強めたのです。律法の実現をイエス様を中心にして考えてよいことがわかったのです。まさにその時、山の上の出来事は本当に起こったこととして受け取ることができるのです。この時私たちは、歴史学が構築した歴史をはみ出す歴史に身を置いているのです。


 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン