2013年8月19日月曜日

目には見えないからこそ信じて生きる (吉村博明)



説教執筆者 吉村博明 (フィンランドルーテル福音協会宣教師、神学博士)
 
信徒礼拝説教 2013年7月28日(聖霊降臨後第10主日)
スオミ教会にて
(2011年8月21日聖霊降臨後第10主日横須賀教会での説教を改訂)

イザヤ書55:1-5、
ローマの信徒への手紙9:1-5、
マタイによる福音書14:13-21

説教題 目には見えないからこそ信じて生きる


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。                                                                                                                                               アーメン

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様


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 5千人以上の人たちの空腹をわずかな食糧で一度に満たしたことに限らず、イエス様が行い、またイエス様にまつわる奇跡は、無数の不治の病の癒し、悪霊の追い出し、自然の猛威を鎮めたこと、そして処女からの誕生や死からの復活など、枚挙にいとまがありません。本説教では、まず、イエス様の奇跡の業の信ぴょう性について考えてみます。その次に、奇跡が私たちの信仰にどんな意味があるのかを明らかにしながら、天地創造の神の私たちに対する愛と恵みについて学びを深めていきたいと思います。
 
これらの奇跡は全て福音書に収録されていますが、それらは全て目撃者の証言が土台となっています。ただし、目撃者の証言録がすぐ福音書にまとまったのではなく、証言はまず口伝えされ、やがて手書きされたものもあわせて伝承され、それらが集められて最終的に福音書という本の形にまとめられました。イエス様の一連の出来事から、大体一世代ないし二世代を隔てているので、伝承されていくうちに、もとの証言も、長すぎれば要約されたり、短すぎれば補足されたりするということがでてきます。それで、同じ出来事を扱っていても描写や記述にぶれがでてくることになります。ヨハネ福音書は、十二弟子のひとりであるヨハネが自分で書いたと言っているので(ヨハネ2124節)、つまり目撃者がじかに書いていると言っているので、信ぴょう性が高い可能性があります。しかし、これもイエス・キリストの出来事の時から、何十年もたって書かれているので、ヨハネが嵐のような人生を送っているうちに、胸にとどめた記憶も、年月とともに強調したいところはより強調され、瑣末に思われるところは背後に退くということもでてきます。それで結果的に、他の3つの福音書の土台にある証言の伝承と同じようなことが起こります。
 
 福音書の土台にある目撃者の証言が伝承されるうちに膨らんだり縮んだり、記述される出来事の文脈がかわってきたりするのは、目撃者、伝承者そして福音書を最終的に書き上げた人たちの記憶やものの見方が影響しているためですが、ここで忘れてはならないことがあります。それは、記憶やものの見方に相違があると言っても、これらの目撃者、伝承者、福音書記者はすべて皆、イエス・キリストが死から復活した神の子であると信じた人たちで、パウロを含む使徒たちの教えをしっかり守った人たちであるということです。大元のところのものは同じなのですから、記憶やものの見方に相違があっても、それは大元のものを覆すほどのものでは全くなく、許容範囲にとどまるものです。その意味で、伝承の過程において聖霊のコントロールがしっかり働いていたと言うことができます。ただし当時は、聖霊のコントロールから外れる伝承、教え、見解も多く流布しておりました。皆様も耳にしたことがあるかもしれませんが、トマス福音書とかユダ福音書とかがそうした伝承、教えでした。しかし、そうしたものは一切、聖書のなかに入ることはできませんでした。聖霊の働きの結晶である聖書をあなどってはいけません。こうしたことを念頭に置いて、5千人の空腹を一度に満たした奇跡について見てみましょう。
 
 この出来事は、マルコ福音書とルカ福音書では、12弟子たちが宣教旅行から帰ってきて、弟子たちを休ませようとイエス様が群衆から離れたガリラヤ湖の対岸へ連れて行ったが、群衆はそれでもついてきてしまう。仕方なく教えや癒しを続けているうちに夜が更けて、食べ物に困る事態になり、奇跡に及んだという流れです。歴史的な背景として、ヘロデ・アンティパス王が洗礼者ヨハネを殺害した後の出来事として記述されています。マタイ福音書では、12弟子たちが宣教旅行から帰還した旨が一切述べられず、弟子たちはいつの間にかまたイエス様と行動を共にしています。それでも、この5千人の奇跡の出来事は、ヘロデ・アンティパス王のヨハネ殺害後に起きたという歴史的背景については、マルコとルカと同じで、イエス様は弟子たちとガリラヤ湖の対岸に移動するも、群衆がついてきてしまい、その後はマルコとルカと同じような流れになります。ヨハネ福音書では、歴史的背景は触れられず、ただガリラヤ湖の対岸に移動したイエス様と12弟子たちを群衆が追っていくということから始まります。ヨハネ福音書では触れられていないとは言っても、出来事の前後に洗礼者ヨハネはもはや登場せず、背景にヨハネが姿を消すような事態があったことは明らかです。12弟子たちが宣教旅行から帰還した直後かどうかは見解が分かれるかもしれませんが、それでも、洗礼者ヨハネが歴史の舞台から姿を消した後で、イエス様と弟子たちがガリラヤ湖の対岸に移動するや群衆が後を追ってきたという点では、4つの福音書は全て一致しています。奇跡自体の詳細についてみると、確かに、ある福音書では触れられているが他では触れられていないというものがいろいろあります。それでも、まず、(1)弟子たちがイエス様に、もう遅いし皆空腹だから群衆を帰らせて下さいとお願いする、(2)イエス様は、今ここにどれくらい食べ物があるかと聞かれる、そこには5切れのパンと2匹の魚しかない、(4)イエス様は群衆を座らせ、天を仰いで感謝し、(5)弟子たちを通してパンと魚を分配すると皆がおなか一杯になり、(6)あまりが出るくらいだった、(7)群衆は成人男子だけで5千人いた、という点では4つの福音書とも一致しています。このように5千人の奇跡の話は、とりあえず細かい相違点に目をつぶっても、一致する部分がこれだけでてくるという、目撃者の証言が伝承過程を経ても原形をとどめた好例と言うことができます。これで、奇跡の信ぴょう性についての議論は、とりあえず一段落したことにしましょう。


2.

 それでは、話を一歩進めて、イエス様が無数の奇跡を行われたことは、私たちの信仰にとってどんな意味があるのか、ということについて考えてみましょう。

 イエス様が数々の奇跡を行われたということにはどんな意味があるかというと、それは、神の国がイエス様と一体となって到来したことを示す役割がありました。どういうことか見てまいりましょう。

 まず、洗礼者ヨハネが登場し、「悔い改めよ。神の国が近づいた」と宣べて、神の裁きの日とメシアの到来の日が近づいたことを人々に知らせ、それに備えよと訴えます。そのヨハネが投獄された後、ガリラヤに乗り出したイエス様も、全く同じ言葉「悔い改めよ。神の国が近づいた」を公にして活動を始めます。ただし同じ言葉を使ったと言っても、イエス様の場合は、神の国が彼自身と一体になって既に来ている、という点でヨハネの場合と大きく異なっていました。ヨハネが「神の国が近づいた」と言うとき、それは「まだ来ていない」ことを意味しましたが、イエス様の場合は「もう来ている」ことを意味していました。

神の国がイエス様と一体となって来たというのは、彼の行った数々の奇跡に示されています。マタイ福音書11章で、投獄中のヨハネが弟子をイエス様のもとに送って、彼が預言に約束されたメシアであるかどうか確認させます。ヨハネに伝えなさいとイエス様が言った言葉は、「私は現に目の見えない者が見えるようにし、耳の聞こえない者が聞こえるようにし、歩けないものを歩けるようにし、らい病を患った人たちを完治し、死んだ者を生き返らせ、貧しい者に良い知らせを宣べ伝えている」というものでした。この言葉はイザヤ書の35章と61章の初めが凝縮されていますが、これらは救いの日つまり神の国の到来を預言する言葉です。また、マルコ福音書3章では、イエス様が悪霊を退治した時、反対者たちから「あいつは悪霊の仲間だからそんなことができるのさ」と中傷を受けます。それに対してイエス様は、「悪霊が悪霊を退治したら彼らの国は内紛でとっくに自滅しているではないか」と反論し、自分が神の国と一体になっているからこそ悪魔が逃げていくのだと証します。このようにイエス様の数々の奇跡の業は、病や悪霊の力を超えた力が存在し、そういう大きな力が働く領域があることをはっきり示すもので、神の国が彼と共に到来したことの印だったのであります。
 
ところが、神の国がイエス様と共に到来したといっても、人間はまだ神の国と何の関係もありません。最初の人間アダムとエヴァ以来の神への不従順と罪を受け継いできた人間は、まだ神の国に入ることはできません。人間は神聖なものとあまりにも対極なところにいる存在だからです。罪と不従順の汚れが消えなければ神聖な神の国に入ることはできません。いくら、難病や不治の病を治してもらっても、悪霊を追い出してもらっても、空腹を満たしてもらっても、自然の猛威から助けられても、人間はまだ神の国の外側にとどまっています。それを最終的に解決したのが、イエス様の十字架の死と死からの復活でした。本来私たち人間が受けるべき不従順と罪の裁きを、イエス様が全部引き受けて十字架で死なれ、ご自身の血を代価として支払って、私たちを罪の奴隷状態から解放して下さった。同時に死から復活されたことで、死を超えた永遠の命に至る扉も開いて下さった。このことが、まさにこの私のために行われたのだとわかって、イエスを主と信じて洗礼を受けて、そうして神がイエス様を用いて完成された救いを所有する者となった時、私たちは神から義なるものと見なされる存在となり、神聖な神の国の立派な一員として迎えられることとなったわけであります。


3.

ところが、洗礼を受けて、完成された救いの所有者となって、神の国の一員に迎えられたと言っても、病や飢えや渇きや自然の猛威は、私たちにとってまだ現実です。キリスト教徒も、そうでない人たちと同じように病や飢えや渇きや自然の猛威に晒されます。もちろん、時としてそうしたものから奇跡的に助かった人の信仰の証を聞くこともありますが。神の国の一員に迎えられているのなら、どうしてかつてイエス様が来た時のような力ある国ではないのか、という疑問が起きましょう。

それは、まだこの世が終わっておらず、神の国の一員である私たちは実はまだそうしたこの世にも生きていることによります。この世が終わる時、全てのものは滅び去り、神の国だけが永遠に残ります。イエス様が再臨され、信仰をしっかり守って生きた者たちに復活の命を与え、神の国に集められます。そこは、全ての涙が拭われ、死も悩みも嘆きも苦しみも存在しないところです(黙示録214節)。まさに病や悪霊や自然の猛威を超えた力が働く領域です。そもそもそういう邪悪なものが全て消滅してしまったからです。

ここで「信仰をしっかり守って生きた人たちが永遠の命を与えられて神の国に集められる」と聞くと、たいていのキリスト教徒は自分には無理だと思ってしまいます。なぜなら、肉をまとってこの世を生きる以上は、自分の内に罪と神への不従順がまだ宿っていることを認めざるを得ないからです。しかしながら、「信仰をしっかり守って生きる」と言うのは、罪と不従順がなくなった状態を意味するのではないのです。そんなことは、まだ不可能です。洗礼を通して神がイエス様を用いて実現した救いの所有者になる、ということは一体何なのか?それは、罪と不従順をまだ持っているにもかかわらず、それらがもたらす裁きが赦されて、神からさもそれらがないかのように見てもらえるようになったことを意味します。その時、このようなことを成し遂げて下さった神を賛美し感謝しようという心が生まれ、「全身全霊をもって神を愛せよ」と「自分を愛するが如く隣人も愛せよ」という神の意志に聞き従うのは当然だという心が育っていきます。実に洗礼によって、私たちは、肉に宿る古い人間を日々死に渡し、洗礼によって植えつけられた新しい人間を日々育てていく存在へと新しく創造されたのであります。この一大プロセスの終着点に復活があり、その時、古いものは全て消滅し、私たちは完全なキリスト教徒となって、永遠の命を生き始めます。そういうわけですから、洗礼を通して力強い神の国の一員に迎えられた筈なのに不運にも死が間近に迫る事態となってしまったとしても、本当は慌てふためく必要はないのです。瞬きした瞬間、私たちは完全なキリスト教徒になって永遠の命を生きています。その時、死は私たちに何の力もありません。実は、死は、私たちが洗礼を受けた時に、もう私たちを支配する力を失っているのです。


5.

 以上、イエス様が奇跡の業を通して、神の国の到来とその力を示されたことと、そして洗礼が私たちをそうした神の国の一員に迎える力をもつものであることが明らかになりました。理性をもち、目で見えるものにより頼もうとする私たちに、こうしたことを信じるのは、簡単なことではありません。私たちは、それらのことを目で見ることができず、信じる手がかりは、聖書に書かれたことしかないからです。イエス様の時代の人たちは、奇跡を目のあたりにしたので、信じるもなにも、見たことをそのまま受け入れるほかありませんでした。あえて言うならば、奇跡を「信じる」必要がなかったのです。私たちの場合は、目撃者の証言が唯一の手がかりです。「信じる」とは、目に見えないからこそ、成り立つものと言うことができます。要は、天地を創造し、私たちも創造し、ひとり子をこの世に送られた神は自分で言った言葉と約束をちゃんと守り通せるお方であると、信じることができるかどうか、ということです。ここまで言われれば、信じて当たり前という気持ちになります。
 
ルターは、信じることと実感することは相反するものであり、相反するこれらのものの戦いがあることで信仰が強められると教えています。

「福音から真理の光を受けた人は、聖書の御言葉に支えられて心をキリストに傾注するようになる。その人は、自分の内に罪と神への不従順があることを感じ、まだその中に浸かっていると思い知りながらも、実は次第に地獄と罪の支配が及ばないところへと導かれるのである。

 この時、その人の内に戦いが始まる。実感することこそ全てだとする実感中心主義は、聖霊と信仰に対して戦いを挑み、聖霊と信仰は実感中心主義に戦いを挑む。信仰は、その性質上、理性が実感を追い求めるのをほっておく。信仰は、生きる時も死ぬ時も、ただ聖書の御言葉のみにより頼み、目に見えるものにより頼もうとしない。実感中心主義では、理性と五感が把握できる以上には到達できない。このように、実感中心主義は信仰に対立し、信仰は実感中心主義に対立する。この戦いの中で、信仰が成長すればするほど、実感中心主義はしぼんでいく。逆もまたしかりである。

 罪、驕り、貪欲、憎しみなどが私たちの内に宿っているが、それは、私たちを信仰に踏みとどまらせて鍛えるためであり、そうすることで信仰は日々前進し、私たちは最終的に頭からつま先までキリスト教徒となって、完全にキリストの守りに覆われ、復活の日の大祝宴の席につけるようになる。海の波を見たまえ。あたかも岩壁を力で破壊しようとするかのごとく、次から次へと押し寄せるが、岩壁にあたると壊れてしまい消えてしまう。同じように罪や神への不従順も、私たちの頭上に襲いかかって、私たちを絶望に追いやろうとするが、それらも退却を余儀なくされ、最後には消滅するのである。」


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン