2017年12月4日月曜日

民族の閉塞を打ち破る全人類のための幸い (吉村博明)

説教者 吉村博明 (フィンランド・ルーテル福音協会宣教師、神学博士)

スオミ・キリスト教会

主日礼拝説教 2017年12月3日 待降節第一主日

イザヤ書63章15節-64章7節
コリントの信徒への第一の手紙1章3-9節
マルコによる福音書11章1-11節

説教題 「民族の閉塞を打ち破る全人類のための幸い」


 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。                                                                                                                                           アーメン

 わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

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 本日は待降節第一主日です。教会の暦では今日が新年です。これからまた、クリスマス、顕現日、イースター、聖霊降臨日等々の大きな節目をひとつひとつ超えていく一年が幕を開けました。スオミ教会と教会に繋がる皆様が父なるみ神の恵みと憐れみのうちにとどまり、皆様一人一人の日々の歩みの上に神からの豊かな祝福と見守りと良い導きがありますように。

 本日の福音書の箇所は、イエス様が子ロバに乗って、エルサレムに「入城」した出来事についてです。先ほど福音書の朗読で、群衆がイエス様を歓呼で迎える場面のところで、ご一緒に「ダビデの子、ホサナ」を歌いました。これは、待降節第一主日にフィンランドやスウェーデンの多くのルター派の教会で行われることでして、それに倣ってみました。この「ダビデの子、ホサナ」はスウェーデンやフィンランドの教会讃美歌の一番目の歌です。新しい年を元気に迎えるに相応しい歌ではないかと思います。フィンランドもあと7時間したら、全国の教会でこの歌が響き渡るでしょう(スウェーデンは8時間あと)。

 ところで、このフィンランドとスウェーデンの讃美歌第一番ですが、日本語訳の聖書や歌にある「ホサナ」ではなくて、「ホシアンナ」という言葉を使います。両国の聖書の本日の箇所も、「ホサナ」ではなく、「ホシアンナ」になっています。この違いは何なのでしょうか?昨年も少し説明しましたが、これは、聖書に記されたことにはちゃんと歴史性があるということを知るためにも大事ですので、今日も触れておきたく思います。

この「ホサナ」とか「ホシアンナ」というのは、もともとは詩編11825節の中にある言葉から来たものです。25節は、「主よ、どうか救って下さい。どうか、栄えさせてください」と神に助けを求める祈りです。この「どうか救って下さい」がヘブライ語でホーシィーアーンナーהושיעה נא と言います。本日の箇所の群衆の歓呼は、まさにこの詩編11825節に基づいています。そのため、日本語訳の聖書のような「ホサナ」と言わずに、「ホシアンナ」と言った方が、引用元の聖句に忠実ということになります。では、どうして日本語の聖書では「ホシアンナ」と言わずに、「ホサナ」と言うのでしょうか?

「ホサナ」というのは、実はヘブライ語のホーシィーアーンナーをアラム語に訳したホーシャーナーהישע־נא のことです。イエス様の時代、現在のパレスチナの地域では、人々が日常に話す言葉はアラム語という言葉でした。それにローマ帝国東部の公用語であるギリシャ語も話されていました。旧約聖書の言葉であるヘブライ語は書物の言葉としては使われていましたが、人々が日常に話す言葉はアラム語やギリシャ語でした。ユダヤ教の会堂シナゴーグで礼拝が行われる時も、ヘブライ語の旧約聖書の朗読にはアラム語の訳がつけられていました。イエス様の母語は間違いなくアラム語だったでしょうが、会堂の礼拝でこれを読みなさいとイザヤ書の巻物を手渡されたところをみると(ルカ416節)、ヘブライ語も問題なかったことを伺わせます。さらに、ユダヤ民族以外の民族の人たちとコミュニケーションを取っていたことも福音書に記されていますので(例としてマルコ72430節)、ギリシャ語も堪能だったでしょう。

ところで、イエス様の十字架の死と死からの復活を目撃した弟子たちが、出来事の生き証人になり、イエス様は真に天地創造の神のひとり子であった、旧約聖書に約束されていた救世主であった、と宣べ伝え始めました。宣べ伝えの媒体は、最初は口伝えの伝承と断片的に書きとめられた記録でした。その言葉はアラム語でした。ところが、宣べ伝えがローマ帝国内に広がりだすと、アラム語の伝承と記録はどんどんギリシャ語に訳されていき、宣べ伝える人たちもギリシャ語で話したり書いたりするようになって、それで新約聖書は最終的にギリシャ語で出来上がったのでした。

しかしながら、伝承と記録の全部がギリシャ語に訳されたわけではありませんでした。本日の箇所の群衆の歓呼は、ギリシャ語のテキストではホーサンナωσανναになっています。これはホーシャーナーを「救って下さい」などと訳さないで、そのまま発音をギリシャ文字で書き表したものです。実は、新約聖書の中にはイエス様をはじめいろんな登場人物が口にした言葉の中に、ギリシャ語に訳されないでアラム語の発音がそのままギリシャ文字で書き表されて、日本語訳ではカタカナで記されているものが多くあります。聖書をよく読まれている方は、あれだな、とすぐ思いつくでしょう。ここでは取り上げませんが、大事なことは、生き証人たちの伝承をギリシャ語に訳した人たちは、印象深い言葉を訳さないで、もともとのアラム語の言葉の発音をそのまま残したということです。私たちは、聖書を読む時、カタカナで表記されたアラム語の発音に触れることで、イエス様をはじめ当時それらを口にした人たちの肉声に触れることができるのです。

本日のホサナも同じです。もともと詩篇11825節はヘブライ語でホーシィーアンナ―と言っていた。2000年前イエス様を迎えた群衆はこれを引用して、アラム語でホーシャーナーと叫んだ。それをギリシャ語で記録したらホーサンナになった。この群衆の叫びを、スウェーデン語やフィンランド語の聖書は引用元に倣ってホシアンナにした(ドイツ語のルター版も)。英語(NIV)やドイツ語Einhaitsübersetsung訳の聖書は、ギリシャ語のテキストに倣ってホサンナにした。日本の新共同訳はホサナを使っていて、これは当時の群衆の生の声に一番近い形ということになります。すごいですね。

2.

前置きが長くなりましたので、本題に入ります。このホサナはもともとは、天と地と人間の造り主である神に救いをお願いする意味でした。それが、古代イスラエルの伝統として群衆が王様を迎える時に歓呼の言葉として使われるようになりました。本日の福音書の箇所で群衆は、子ロバに乗ったイエス様をまさにイスラエルの王として迎えたのです。しかし、これは奇妙な光景です。普通王たる者がお城のある自分の首都に入城する時は、大勢の家来ないし兵士を従えて、きっと白馬にでもまたがって堂々とした出で立ちだったしょう。ところが、この「ユダヤ人の王」は群衆には取り囲まれていますが、子ロバに乗ってやってくるのです。この光景は一体何なのでしょうか?

 加えて、イエス様が弟子たちに子ロバを連れてくるように命じた時、まだ誰もまたがっていないものを持ってくるようにと命じました。まだ誰にも乗られていない、つまりイエス様が乗るという目的に捧げられるという意味ですが、もし誰かに既に乗られていれば使用価値がないということです。これは、聖別と同じことです。神聖な目的のために捧げられるということです。イエス様は、子ロバに乗ってエルサレムに入城する行為を神聖なものと見なしたのです。つまり、この行為をもってこれから神の意志を実現するというのです。さあ、周りをとり囲む群衆から王様万歳という歓呼で迎えられつつも、これは神聖な行為、これから神の意思を実現するものであると、ひとり子ロバに乗ってエルサレムに入城するイエス様。これは一体何を意味する出来事なのでしょうか?

 このイエス様の神聖な行為は、旧約聖書のゼカリヤ書にある預言の成就を意味しました。ゼカリヤ書9910節には、来るべきメシア救世主の到来について次のような預言があります。
「娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ロバの子であるろばに乗って。
わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。」

 ここで、「彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく」というのは、原文を忠実に訳すと「彼は義なる者、勝利に満ちた者、へりくだった者」となります。「義なる者」というのは、神の神聖な意志を体現した者です。「勝利に満ちた者」というのは、今引用した10節から明らかなように、神の力を受けて、世界から軍事力を無力化するような、そういう世界を打ち立てる者です。「へりくだった者」というのは、世界の軍事力を相手にしてそういうとてつもないことを実現する者が、大軍隊の元帥のように威風堂々と登場するのではなく、子ロバに乗ってやってくるというのです。イエス様が弟子たちに子ロバを連れてくるように命じたのは、この壮大な預言を実現する第一弾だったのです。

 ところが、王様を歓呼で迎えた群衆が期待していたことと、迎えられたイエス様がこれから成し遂げようとしたことの間にはとてつもないギャップがありました。このことは当のイエス様本人を除いては誰もわかりませんでした。群衆は何を期待していたのかと言うと、ダビデ王の末裔が現れて、ユダヤ民族をローマ帝国の支配から解放して王国を再興することでした。イザヤ書2章やゼカリヤ書14章などを見ますと、諸国の軍事力が無力化されて、神の力を思い知った諸国民が神を崇拝するようになってエルサレムに上ってくるという預言があります。まさに再興を遂げたユダヤ民族の王国が勝利者として全世界に号令をかける、そういう理解が生まれます。このユダヤ民族の王国について、大方はこの世に打ち立てられる王国をイメージしていました。ただ、人によっては、この世の終わりの時、天と地が新しく創造し直されて死者の復活が起こる時に出現する、そういう超越的な世界を思い描いていた者もいました。そういう理解をもたらす預言も旧約聖書にはあるのです(イザヤ6622節、ゼカリア147節、ヨエル34節、ダニエル1213節)。打ち立てられるのがこの世の王国であれ、超越的な世界であれ、いずれにしても当時の人々は、ユダヤ民族の王国が再興されるという意味での新しいダビデの王国を考えていたのです。

 イスラエルの民の王国への並々ならぬ思いは、イエス様のエルサレム入城の時の歓呼の言葉からも窺えます。群衆は、「ホサナ、主の名によって来られる方に祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫びました。最後の「いと高きところにホサナ」というのは、「ホサナ」という王様を迎える言葉が天の御国でも天使たちによって叫ばれるように、この地上だけでなく天上でも叫ばれるように、という意味です。真ん中の「我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように」に注目しましょう。これは詩篇118篇にはない言葉です。最初の「ホサナ」は11825節にある言葉です。日本語では「どうか主よ、わたしたちに救いを」と訳されています。次の「主の名によって来られる方に祝福があるように」も11826節からの引用です。群衆は子ロバに乗って来るイエス様を見て、ゼカリア書の王の到来の預言の実現とわかって、詩篇118篇を引用して歓呼の声をあげました。ところが、詩篇の箇所にはダビデの王国については触れられていません。しかし、王様が来る以上は、王国も再興されるという考えが自動的に出てきたのでしょう。聖句にない言葉を声を一つにして叫べたくらいですから、群衆の思いは本当に一つでした。それは、これまでのうっぷんをこれで晴らせるという感情の爆発でした。このような爆発をもたらす事情が、当時のユダヤ教社会にはあったのです。そのことは、本日の旧約の日課のイザヤ書63章から64章にかけてよく表れています。

 イザヤ書の56章から66章までの預言は、イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還した後にどういう状態に置かれるかということについての預言として知られています。そこでは、40章から55章の中に記されたような、帰還する時の喜びと希望に満ちた預言は影をひそめて、民が敵対者の迫害を受けたり、民自身が結局、神の意思に相応しくない生き方をしてしまい、神殿を中心とする崇拝も神を喜ばせるものになっていないなど悲観的なトーンが強く出ています。

 実際、イスラエルの民の捕囚からの帰還の後の歴史はその通りでした。廃墟だったエルサレムの町と神殿を復興し、再出発をしたにもかかわらず、民は相変わらず異民族支配に服し続けました。ペルシャ帝国、アレクサンダー帝国そしてローマ帝国と支配者はコロコロ入れ替わりましたが、民の状態は対外的には、諸国民に号令をかけられるなど、そんな立派なものではありませんでした。対内的にも、神殿を中心とする神崇拝は続いていましたが、心ある人から見て、それは形式的な儀式に堕してしまい、神の意思の実現には程遠いものでした。支配層からすれば、町も神殿も復興した、崇拝儀式も機能している、だから預言はちゃんと実現しているのだ、一体何が問題なのか、変なことを言うな、という態度でした。しかし、真実が見える者からすれば、支配層やそれに従う者たちの態度や考えは全く理解できないものでした。どうしてこんなに見えなくなってしまうことが可能なのか?これはもう神が罰として民の目を見えなくしてしまったとしか考えられない。それで本日の旧約の日課にあるような悲痛な叫び、「なにゆえ主よ、あなたは私たちをあなたの道から迷い出させ、私たちの心をかたくなにしてあなたを畏れないようにされるのですか」(イザヤ6317節)という叫びが出てきたのです。神に選ばれたはずのイスラエルの民は文字通り閉塞状況に陥っていました。

 支配層の言う通りにしている多くの人たちも、支配層の言うことが正しいと思って言う通りにしていた人たちばかりではありませんでした。今のところ他にやりようがないので言う通りにしているが、いつか預言された王様が来られれば、全ては一気に変わる、そういう思いがあったことは、群衆の歓呼から明らかでした。そしてその時がついに来たのです。しかし、この王が成し遂げたことは、群衆が期待したこととは全く別のことでした。そしてそれが実は天地創造の神が預言を通して前もって知らせていた本当のことだったのです。

3.

イエス様は一体何を成し遂げたのでしょうか?エルサレムに入城したイエス様は、ユダヤ教社会の宗教指導層と激しい論争を繰り広げます。指導層の人たちはこの男をもう生かしてはおけないと思うくらいに憎悪を燃やしました。まず、イエス様は神殿から商人を追い出して、当時の神殿崇拝のあり方に真っ向から挑戦しました。実は、このイエス様の行動は、ゼカリヤ書1421節「万軍の主の神殿に商人はいなくなる」という預言と、イザヤ書567節「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という預言に基づいていました。次に、イエス様が群衆の支持と歓呼を受けて公然と王としてエルサレムに入城したことは、指導層に大きな不安を抱かせました。というのも、せっかく占領者のローマ帝国に、逆らいませんと言って安逸を与えてもらっているのに、こんなことをしたら反乱を企んでいると思われて軍事介入を招いてしまうではないか、と慌てふためいたのでした。さらに、イエス様が自分のことを、ダニエル書7章に出てくる「人の子」であると公言していたことも許せないことでした。「人の子」とは、終末の日に到来するメシア救世主を意味します。つまり、イエス様は自分を神に並ぶ者としたのです。さらには、もっと直接的に自分のことを神の子と公言していました。イエス様を信じない指導層は、これを神への冒涜と受け取りました。

こうしたことが原因となって、イエス様は逮捕され死刑の判決を受けました。逮捕された段階で弟子たちは逃げ去り、群衆は一転、背を向けてしまいました。この時、誰の目にも、この男が国を再興する王だとは思えなくなっていました。王国を再興するメシアはこの男ではなかった、なんという期待外れか!と。しかしこれは、旧約聖書の預言の一部分にしか目を向けなかったことによる理解不足でした。ところが、まさにイエス様が十字架にかけられた後に旧約の預言の全体が理解できるという、そんな出来事が起きました。イエス様の死からの復活がそれです。

 イエス様が死から復活されたことで、死を超えた永遠の命への扉が開かれたことが明らかになりました。その扉は、天地創造の後、最初の人間アダムとエヴァが神に対して不従順になって罪を犯して以来、ずっと閉ざされていました。それが、イエス様の復活によって再び開かれたのです。人間は、イエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受けることで、死を超えた永遠の命を持つことが出来るようになりました。こうして、人間を死に打ち勝てない存在に貶めていた原因の罪から、人間を支配する力が消えたことが明らかになりました。どこでどうやって、罪は支配力を失ったのでしょうか?それは、イエス様が十字架の上で人間の罪を全て引き受けて人間のかわりに全ての罰を受けたことによります。人間は、イエス様のこの身代わりの犠牲に免じて、神から罪を赦されるのです。人間は、イエス様こそ自分の救い主と信じて洗礼を受けることで、この「罪の赦しの救い」を自分のものとすることができます。こうして、イエス様の言葉「人の子は、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た」(マルコ1045節)の意味が明らかになりました。人間は罪の支配下にある奴隷の身だったのが、イエス様が自分の命を身代金として支払って解放して下さったのです。ここから芋づる式と言っていいくらい、旧約聖書の預言の意味が次々に明らかになりました。例えばイザヤ53章に預言されている神の僕とはまさにイエス様のことだったとわかったのです。
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。」(36節)
「彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをなしたのは
この人であった。」(1112節) 

 実にイエス様の十字架の死と死からの復活は、ユダヤ人であるかないかにかかわらず、全ての人間に救いと永遠の幸いをもたらすものとなったのです。イエス様の神聖なエルサレム入城は、この「罪の赦しの救い」を実現することが目的だったのです。今の世が終わって次に来る世の王国の出現はまだ先のことになりました。神がイエス様を用いて「罪の赦しの救い」を実現した後は、今度は出来るだけ多くの人がこの救いに与れるように、イエス様の救いの福音を宣べ伝えていく時代が始まりました。その宣べ伝えは反対者、時には迫害者をも生み出していきました。この軋轢と対立の中で人間の歴史は進んできました。これからも同じように進んでいくでしょう。それでも最終的には、「ヘブライ人への手紙」12章に預言されているように、この世が終わりを告げてイエス様が再臨し、天と地が新しく創造し直される時が来て、今見えるものは全て揺り動かされて取り除かれ、唯一揺り動かさない神の国だけが見える形で現れて新しい世が始まります。ただ、その時がいつなのかは天の父なるみ神以外には誰にもわかりません。

イエス様の十字架の死と死からの復活の出来事は、この神の国の構成員になる者がもはやユダヤ民族という特定の民族ではなく、神がイエス様を用いて整えた「罪の赦しの救い」を受け取る人たちであるということを明らかにしました。さらに、諸国民が神を崇拝するようになってエルサレムに上ってくるという預言も、もはや地理上、歴史上のエルサレムを意味せず、黙示録21章で「天上のエルサレム」と呼ばれるように、神の国そのものを指すことが明らかになりました。このように、イエス様の十字架と復活の出来事が起きたことで、旧約聖書の預言は、ユダヤ民族の王国復興の夢をはるかに超えた、全人類の救いにかかわるものだったことが明らかになりました。これこそが、天と地と人間を造られて、人間に命と人生を与えた神の意図だったのです。このことを明らかにしたのが、神のひとり子イエス様でした。最初は、人々に教えることを通して、そして最後は、自分の命をうち捨てて神の計画を実現することで、神の意図を明らかにしたのです。

4.

さて私たちは、十字架と復活の出来事からイエス様が再臨されるまでの間の時代にいます。この「間」の時代というのは、人間が「罪の赦しの救い」を自分のものにすることができるように、イエス様の福音を宣べ伝えていく時代です。この救いは全ての人間のために準備されたものである以上、できるだけ多くの人がその所有者になってほしいというのが天地創造の神の意志です。それゆえ、既に「罪の赦しの救い」を受け取った私たちキリスト信仰者は、まだ受け取っていない隣人の心を、この創造主の神に向けさせるように心がけていかなければなりません。隣人に神とイエス様について教え伝える機会があれば、知恵をもって語ることが出来るようにと神に祈りましょう。もし、そういう機会がなかなか得られなければ、機会を与えてくれるように祈りましょう。そして、その機会が来る日まで、またその後も、神がその方に働きかけられるよう、お祈りしていきましょう。それから、既に「罪の赦しの救い」を受け取ったキリスト信仰者同士でも、この救いを手放してしまわないよう、それをしっかり持ち続けられるようにお互いを支え合っていきましょう。ここでも、お祈りが重要です。このように、神の御心に適った隣人愛を行う時はいつも、お祈りが必要です。このことを忘れないようにしましょう。


 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン